妻は精神病 こどもたちのこと あとがき

ただの日常を長くご覧くださいまして有難うございました。
人にとってなんてことない日常ですが、私にとってはかけがえのない時間でした。

日々の日常の中で幸せは珠玉混在している。

あなたは今、日常に幸せを感じていますか?

毎日の暮らしの中の幸せに目を向けているでしょうか。

今日という日は、昨日亡くなった人がどうしても生きたかった今日かも知れません。

人生には登り坂と下り坂と『まさか』がある。というのは、小学校卒業の時に担任の先生が言った言葉です。

私が今思うのは、人生というものは、『環境』と『自分の心の状態』で変化するものだと感じます。

人は自分の置かれている環境を良しとせずにより良いものを求めるように出来ています。

私は無宗教ですが、キリスト教における『原罪』、いわゆる『智恵の実』を人類が手に入れてから『より良い環境』を欲する心が生まれた。と考えると分かりやすいかも知れません。

本当は元々人間が持っている心の一部なのだと思います。

私達は自分をより良い『環境』に身を置くために、様々な思いや想いを巡らします。

『環境が悪い』
と周りに原因を求める人がいます。
また
『環境が悪いのは自分のせいだ』
と自分に原因を求める人がいます。

どちらにしても自分の心が決めていることです。

きっとそれは『より良い環境を望む欲求』によるものだと思います。

そうではなく、自然というものは絶えず変化しており、その中で自分がどう思い、どう想い生きていくのかが大切なんだと思います。

『行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず』

有名な『方丈記』の書き出しで、人生における『無常』を示している文ですが、『無常』とは『ずっと同じなものは無い』という意味です。

川はそこに在り、絶えず流れていますが、一瞬たりとも同じ瞬間は在り得ません。

水は上流から下流に渡り海へ流れ着きます。

そこには激流もあれば穏やかな流れもあります。
時には水辺で停滞し汚れることもあり、嵐の大きな流れに飲み込まれることもあるでしょう。

その全てを包括して『川』は存在しています。

綺麗な清流や穏やかな川辺だけではありません。
例えば
自分が、川辺の木っ端や泥が停留した汚い水に浸食されて、いつまでも抜け出せなく感じる時もあると思います。

しかし、人間はそれを良しとせずに、いつまでも綺麗な水が流れるようにダムを作り、治水工事をして水を調節してきました。

そして、その環境が当たり前だから自分の環境が悪いと周りのせいにしてしまう。

また、水が汚いと浄水場が浄水器を使って綺麗な水にします。

そして、その環境が当たり前だから、自分の浄水器(心を浄化する力)が悪いと自分のせいにしてしまいます。

そうじゃない。
そうではなくて、
その環境もその心もその時だけのものだから、もっと大きな視点から人生を見てもいいと思う。

そこに至るまでに良いことだってたくさんあったのだから。

『そんな時だってあるさ』

そう思うことが出来れば

『なんで自分ばかり』

は無くなると思う。

せっかく清流に流れていても

『またあの汚水に戻りたくない』

と思ってしまう。

でも、それはその時に考えればいいと思う。

今は周りの景色や、清流の心地よさを目一杯感じればいいと思う。

汚水にならない為の準備ももちろん必要かも知れない。

でも、勢いがあるうちは流れに乗ってもいいかも知れない。

それは自分自身がどう人生を歩むかによる。

上流から下流に流れるにつれ、段々川は汚れてくる。
だからしがらみや悩みが多くなる。

色々経験して、思いが深くなる。

そして大きな海へ出る。
それが本当の『死』なのかも知れない。

川の途中で死した魂はそこにじっくり留まって、また流れ出すのを待っているのかも知れない。

そして人間はみんな母なる海へ還るのかも知れない。

それが
私の思う死生感、人生感です。

人は皆、一度きりの人生を歩んでいます。

初めて通る道には
どんなカーブがあるか
どんなに直線が長いか
どんなトンネルがあるか
どんな大きな岩があるか
どんな緩やかな道があるか

わかりません。

目の前の道を真っ直ぐ進むのも良いし、
目の前の難関に注目するのも良いでしょう。

間違った人生なんてどこにも無い。

ただ、ちょっと立ち止まった時には、周りを見渡して違う景色を見ると、空は青く、太陽が煌々と照らしているかも知れません。

隣の人の歩んでいる道は今は平坦で明るく見えるかも知れませんが、それまでの道程はわかりません。

それは比べるものでは無いからです。

今は蕀の道を進んでいても、それは少しかわせる場所があるかも知れません。

それが小さな幸せになるかも知れません。

今、辛い人生の道程を歩んでいる人は、小さな幸せに気付かず、進んで蕀の道を歩んでいるのかも知れません。

ただ、必ずその道の中にも幸せは在ります。

私は子供達との生活の中でそういうことを気付かせてもらいました。

人生はよく川や道に例えられます。

ただ、そこには川や道だけがあるだけでなく、太陽や空気、知恵や想いが在ります。

それをどう思い、
そしてどう想い、
生きていくのか。

周囲の大きな愛に気付くこと。

マイナスはプラスの為にあることに気付くこと。

自分の人生にどんな色を付けるかは自分次第であることに気付くこと。

私はこの世界の全ての人達にそう思って生きてもらいたい。

それは私のエゴに他なりませんが、
ただそう願っています。

きっとみんながそう思えば、世の中がもう少し良く見えるんじゃないかと、
私は思っています。

子供達へ

あなた達は今どんな人生を歩んでいるのでしょうか?

何を思い
何を感じて生きていますか?

あなた達の人生は、
あなた達が自分で歩むことを決めて、この世に産まれてきました。

だから、目一杯自分の人生を楽しんで欲しい。

パパは君達と一緒に居ることが出来た時間を宝物のように思って大切にしています。

『こどもちゃれんじ』を覚えていますか?

最近そこで素敵な歌に出会いました。

機会があったら聞いてみてください。

しまじろうわお!より
『きみにあえるね』

作詞作曲 原崎忠雄

君の手をぎゅっと握って
一緒に駆け出した
あの遠い虹の向こうに何が待っているの?

一緒に行こう

転んでも泣かないよ
君が居てくれたら

不思議な世界に僕らは生きている
気付けば優しく風が吹いている

そして
君に会えたね
ありがとう

約束しよう

いつまでも
いつまでも
僕ら友達だよ

繋いだ手と手が
僕らに教えてる

きっと新しい歌も歌えるね

いつか
君に会えるね

ありがとう

君に会えるね

じゃあまたね。
二人とも大好きだよ。

愛する子供達へ

パパより

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コメント

  1. かよ より:

    全部ではありませんが読ませて頂きました。
    3歳と0歳の母です。
    元の奥様と子ども達につくされたようで結末にも涙が出てしまいました。
    お子様大きくなられたようでそろそろ会えるのでしょうか。
    未成年は会えないのでしょうか。

  2. 3児の父 より:

    全て読ませていただきました。
    自分に重なり合わせ反省させられること、思わず涙が出そうになること等々ありました。今の自分が果たして子供たちに対して本気で愛情を注げているのか再確認する非常にいい機会を与えていただけたことを感謝いたします。
    筆者様が将来愛する子供たちと何の障害もなく再会できる日が訪れることを切に願います。

  3. い  より:

    私がITバリキャリから癌でリストラ。夫失踪。鬱、パニック障害、摂食障害(大腸癌で消化吸収がうまくいかなくなったため)、貧血、頚椎骨折、後遺症で、とにかく、生きてるのが辛いです。死にたい。と、死にたいわけではない。今の環境が辛いから逃げたいだけ。のせめぎあいです。

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