妻は精神病 今の僕の気持ち 7

会社で休みを一ヶ月もらった。

とりあえず、実家の母親に事情を話し、一緒に暮らしてほしいと頼んだ。

私の父親は私が20歳の時に亡くなり、今は母親が一人で暮らしていた。

向こうの親が原因でなった病気なので頼れないし、頼りたくもない。(実際話をしたが、あまり理解してくれなかった。)

…母ちゃん。頼むよ。

って、必死の説得によりようやく折れてくれた。

この後の母の働きはすごく、瞬く間に子供達の保育園入園を決めてくれた。
(いかに特別な事情があったにせよ、今はどんな保育園でも普通入園待ちで最初に妻と私がお願いしても軽くあしらわれた。しかし、母はストーカーの如く区役所と保育園に入りびたり、いかに自分達が大変で不幸かを熱弁!熱弁!熱弁!
遂には二人とも入園させてしまった。)

…四年が経過し、母との関係は良好。

妻が病気になり、一番良かった事はこの母親との関係が良くなった事かも知れない。

今では、下の子の健斗が恋人♪と子供達を可愛がってもらい、半分は育ててもらっている。

そして、本当の感謝の心を教えてくれた。

この場を借りてお礼します。

お母さんありがとう。

そんなこんなで、最重要課題であった子供達の問題をなんとかクリアーし、実家に引越し。

妻は格子のついた病院に入る事となる。

―続く。
——————————————————————————–

母とのこと。

『あの頃のボク』でも述べた通り、荒れた高校生時代を過ごしていた私は母に恐れられていました。

母曰く、兄が去年統合失調症になった時に自分の子育てが間違っていたと気付いたと言っていました。

母も父についてきただけの人でした。

そんな父を見ていたから、少なからず自分もそうなったのかも知れません。

だけど、それはあるかも知れませんが、今を生きているのは『自分』だから、親が悪いとは今は思いません。

子供が大人になったのが大人だから、親だからといって出来ないことがあってもいいと思います。

実際母にはたくさん助けられました。

詩織さんと子供達のことを一身に受け止めてくれました。

それが原因で母は自律神経失調症や顔面麻痺になりました。

それでも笑ってたくさん支えてくれました。

たくさんの愛情をいただきました。

この時まで嫌いだった母が、
心を砕いてたくさん支えてくれて、
母親というものの大きな愛情に気付けました。

たくさん迷惑を掛けて
たくさん傷付けて

それでも笑って愛情を示してくれた母。

私も母を見習って惜しむことのない愛情を子供達に捧げたいと思います。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA