妻は精神病 今の僕の気持ち 14

そんな生活が続き、母親が先に参ってきた。

私が仕事に出ている間、精神病の詩織と子供達の世話。

私は朝6:40に出社して夜23:30に帰宅。

朝から晩まで私の家族に付きっきりである。

ただでさえ、気の滅いる精神病患者との付き合い。

娘ならまだしも『嫁』。

詩織も普通時は母には気を遣っているが、いかんせんおかしくなれば手に負えない。

母から私への愚痴が日増しに増える。

…仕方ない事。

それは母も私もお互い分かっていた。

しかし、想像を超える辛さだったろうと思う。

息子と精神病の嫁と三歳と一歳の孫の面倒を見るのは。

そんなある日、詩織は遂にアレを実行した。

『リストカット』

仕事中昼に母親から電話が来た。

「優和!詩織ちゃん手首切ったよ!健斗もいるしちょっとあんた帰ってきて!」

…遂に来た。という感じだった。

詩織は病気になってから手首を安全ピンでよく刺していた。

斉藤先生には言われていた。
「これから多分自傷行為も出てくるでしょう。」と

話にはよく聞く。

でも実際に『やった』と聞くと何とも言えない嫌な気分になる。

初めてのリストカットは驚きと不安ですぐに病院へ向かった。

6針縫ったらしい。

左手がぐるぐる包帯に巻かれながら点滴を打つ放心状態の詩織がいた。

バカヤロウ。

心の中で呟いた。

詩織は私を見つけると「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」と壊れたラジカセのように繰り返す。

「…ああ、もういいよ。命があって良かったよ。もうするなよ。絶対だぞ!」

「…うん。」

あと2時間は点滴にかかるらしい。

家に帰って部屋中の刃物やガラスを手の届かない場所へ隠した。

そして詩織の点滴の終わる前に斉藤先生と面談をした。

「刃物全部隠しましたか、ハッハッハ」

笑いやがった。

こっちは真剣なのに。

人の命がかかっているのに。

先生の答えは以外だった。
「死ぬ気なんてないんですよ。」

!?

辛いから死にたくてやるんじゃないのか?

「寂しいんです。注意をひきたいが為の衝動です。そして血を見ると安心するという衝動もあります。」

理解不能だった。

何で!?と思ったがそうらしい。
今でも理解は出来ない。
そして結局止めるすべはないとの事。

―はぁ?刃物を持って子供達に切りかかったらどうすんの!?

「自傷行為なので自分を傷つけるだけです。」

と先生。

私、殴られたりしてます先生。

それは別。
との事。

訳がわかりません。

ますます壊れてくる詩織。そして先生のいう通り、自傷行為は続けていく事となる。
実際母はかなり限界のように見えた。

そんな時、先生から一つ提案が持ちかけられる。

「奥さんを一人暮らしさせる事は出来ないか?」と。

新しい部屋を借りなくてはならないと思っていた矢先の提案だった。

まずは子供達と完璧に離す時間を作り一人で生活をしてリズムを作るというカリキュラムだそうだ。

まぁ、相変わらず人の財布をかえりみない話だったが、詩織と母と私の三人で話し合いそれを決めた。

丁度、実家からスープの冷めない距離のアパートで一人暮らし用のところがあった。

詩織を一人暮らしさせる不安もあったが、母と私と子供達と詩織がうまく生活を営む為に他に良い方法が見つからなかった。

週末はなるべく家族でいる約束をした。

そして詩織と別居する事となった。

―続く。
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『リストカット』

なんというか、
哀しかったり
怖かったり
心を鷲掴みにされたような
不安な
心臓が重く響くような

この世の『負』を混ぜ合わせて混沌としたものを押し付けられたような

そんな感じです。

傷口から流れ出る赤い血がその印象を際立たせます。

決してテレビドラマでは現せない、そんな感情です。

もしもテレビで現すとするならば、画面の上から血が流れ落ちる様を表現するでしょうか。

それが家族のものであるという変えようのない事実。

焦り怒り失望不安悲しみ

どんな言葉を並べてもあの感情は表現し難い。

まさに筆舌し難いものがあります。

今の私にはそれがトラウマとなり、テレビでも出血シーンを見ることが出来ません。

ホラー映画を見ることが出来ません。

何度止めてほしいと伝えても止めることの無かったリストカット。

『自傷行為』とは器質的なものだけの言葉で、実際は周りの人々の心を砕いていく行為だと思います。

まさしく『精神の病』の象徴とも言える自傷行為を、詩織さんは何度も繰り返しました。

段々心が麻痺し、「またか…」と機械的に処置を済ませるようになると、今度は大量服薬をし出すようにパワーアップしました。

自分に振り向かせる為に行うと言われる自傷行為。

私もその後、トラウマに歳悩まされ、身体が動かなくなるというものを体験しましたが、自傷行為までには至りませんでした。

お陰様で今は大分緩解されてきました。

私は私の身体を傷付けたいとは思いませんので、その行動は理解出来ませんでした。

ただ、心の叫びが衝動を起こし、自傷行為に繋がるのだと感じました。

周囲の影響をかえりみることの出来ない故からの行動ですが、あれは良くない行為だと思います。

とても心が傷付きました。

そして心の傷は深く、なかなか治るものではありません。

破壊衝動や自傷行為は自己満足感を得るものだと思います。

そして病気だから止められないというエゴが行き過ぎた行為だとも思います。

そう至るまでの過程があり、因果の法則により発症に至ることは理解出来ます。

しかし、過去は自分の中でしか消化出来ません。

その心根に自らが説いていくことが出来れば、解決に向かうのだと思います。

それが出来ないから病気になったんだという意見も伺います。

それこそが自らの矛盾を産み出していることになります。
『人権は認めて欲しい』
『でも障害者と差別はするな。健常者と何も変わらない』

そして本人もその矛盾の狭間に気付いているからこそ、精神疾患と言われる人々は負のスパイラルに陥ってしまうのではないかと感じました。

私はその行動に間違いも多々ありましたが一貫してそこを詩織さんに問い続けました。

しかし、結局、何かを問い続けることは否定感を生み、それがこのような結果に繋がったのかも知れません。

ただ、当時の私を私は責めたりしません。

与えられた環境の中で精一杯生きました。

もし今ならば、そこを問うのではなく、『寄り添う』という選択をしたと思います。

ただ、そのような選択をしても、詩織さんの行動は変わらなかったとは思います。

ではなぜそういう選択をしたと思うかというと、結局は私の自己満足、自身を満たすエゴに過ぎないからです。

しかし、より深く相手に寄り添い、思い遣りを持ち、それ自身が相手の為ではなく、自分の心根に根差すものだと確信することが、自分の為にも、相手の為にも必要だと思います。

相手は不幸の盾を持ち、容赦なく過ちの剣を闇雲に降り続けます。

そうやって相手も自分も傷付け続けます。斬りきられ続けていると、心は傷付けられる一方です。

そして共倒れとなります。

介護疲れ、
酷い場合は一家心中をもたらします。

そこは距離を置き、遠巻きに見守るようにして、必ず嵐は去りますから、その時に処置をしていくこと、ただ相手はこちらを見付けると一身に自爆覚悟で傷付けに向かってきますから、時に切り刻まれながらも受け止める。

そういう微妙な距離感を保ちながら行くのも一つの方法かも知れません。

それと同時にその思考回路を修繕していく。
それには認知行動療法が私は有効だと思います。

だから、自らがそこまで傷付きたくなければ離れましょう。

離れることは悪くないと思います。

お互いに距離を置き、専門家に治療を助けてもらう。

結局治すのは本人自身の力であり、周りはその補助でしかありません。

自分が相手の病気を治すという決意は素晴らしいですが、治すのは本人であることに気付くことが肝要であると思います。

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コメント

  1. ちっち より:

    もし、まだお読みでなく機会があれば生野照子さんの『リストカットの向こうへ』という本を読んでみて下さい。
    専門家がこんなに苦しんで治療に向き合うのですから、貴殿は精一杯やっていたと私は思います。

  2. よりこ より:

    私は人に自分の苦しみを押し付けたくなくて体の見えるところに傷を付けませんでした。見えないところや精神的に自分にダメージを与えること(自分の尊厳を壊したり蔑むこと)を続けて本当に誰にも理解して貰えず溝が大きくなっていき過ぎて外出も出来ず感情も動かなくなってしまいました。家族に迷惑をかけてはいけないので一人で暮らしています。これはこれで、なんか釈然としません。どうしたらいいのか、本当に誰一人として完全に幸せな気分になれる答えの出ない問題だな、と思っています。

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