妻は精神病 今の僕の気持ち 23

母親はよく言った。

「たとえ病気が良くなったとしても、あんたの知ってる詩織ちゃんじゃなくなるかも知れないよ。全くの別人になる可能性だってあるんだよ。」と

私は詩織と付き合いはじめた時の事を思い出した。

詩織はふいに淋しそうな笑顔をする娘だった。

詩織はいつも優しく微笑んでくれたが、大口を開けて笑う事は無かった。

「いつか俺がお前の本当の笑顔を出させてやる。」

19歳の私は彼女に約束をした。

…きっと今がその時なのかな…

ふと、そんな事を考えるようになっていた。

物事に偶然はなく、全て必然なのかも知れない。

前へ進む事だって

後ろを振り返る事だって

立ち止まる事だって

全て必然。

そして、自分は特別な存在でありながらも

特別な存在ではなく

いてもいいけど

いなくてもいいと気付いた。

…ならば、

自分の人生は自分の為に生きよう。

それは彼女の本当の笑顔が見たいが為に。

そう思った。

―続く
—————————————————————————————————
ただあの人が心から幸せに笑う笑顔が見たかった。

家族で和気あいあいと暮らしたかった。

何も特別なことを望んでいる訳ではありませんでした。

ただ、居なくなったらそれが特別なことだと気付きました。

詩織さんが幸せだったのかどうかはわかりません。

私は自分が思う幸せを押し付けていたのかも知れません。

でも、そう考えることが出来たのも、詩織さんのお陰だと思います。

泣き
笑い
悲しみ
怒り
喜び
憂い
驚き

詩織さんとの生活は私にたくさんの色を付けてくれました。

たくさんの色が私の人生に彩りを与えてくれました。

前世というものがあるならば、私の前世は無気力無感動な人間だったのかも知れません。

世の憂いを一身に浴びたつもりになっている独りよがりな人間だったのかも知れません。

生きることということはなんだろうと問い続けた人生だったのかも知れません。

もっと現実的な話だと、私は『思考は連鎖する』のだと思います。

たくさんの御先祖の上に自分が立っている。

お父さんお母さんにはそのまたお父さんお母さんがいて、ほんの5代、120年程遡っただけでも自分が生まれる為には15組の夫婦が必要になります。

歴史を遡ればもっともっとたくさんの人が自分が生まれる為にそこに存在していました。

そこには自分に携わる様々な人の思い想いがあったはずだと思います。

その思考も連綿と目に見えない中で引き継がれていたんだと思います。

御先祖の思考は具現化し、様々なものを創り上げてくれました。

その証拠に、周りを見渡せば先代方が培った叡智がたくさん溢れています。

それは現代を生きる我々の為の、先代方からのプレゼントだと思います。

私達はその人類の様々な遺産に色を付けることが出来ます。

ある人にとっては要るものであり、
またある人にとっては要らないものになる。

それはその人の思考の角度が決めるものであり、その元は御先祖から引き継いできた思考の角度だと思います。

御先祖が生きてきて、私達に目に見えるものと目に見えないものとを残してくれ、それが日本人として、またはその血筋の直系としてのアイデンティティーを創り上げ、自分のアイデンティティーの基礎になっているのだと言い替えてもいいかも知れません。

現代、自分を支点にし、
横軸を広く考え、それが世界だとした時に
その周りが自分にとって『有難い』と思えるか
『周りが悪い』と思うのか

縦軸が時間とした時に、過去からの事象が
自分にとって
良いと思うのか
悪いと思うのか

どう捉えるのかは自分次第です。

様々な価値観が世界を彩っているのだと思います。

だから様々な価値観が在っていいと思います。

たくさんの価値観が世界を創るとしたとしたら、どんな思考でも必要ないということは無いのだと思います。

そして、生まれた思考はこの世界に必要の無いものであればゆっくりと淘汰されていくのだと思います。

私は過去に学ぶのは未来に活かす為だと思います。

そして、必ず良いものの後ろには悪いものが表裏一体であるとも思います。

人間はあらゆる刺激を求めます。

それは刺激が進化をもたらし、自分の存在を確認出来るからだと言います。

刺激とは激しいものから穏やかなものまでありますが、極端な話だと息をするのも刺激になります。

呼吸をし、外気を体内に取り込み、酸素と二酸化炭素をガス交換をし、体内に必要な分を循環させる。

これらは脳に信号を送り、自律神経の働きにより円滑に行われています。

びっくりすると心臓をドキドキさせて体内の血液循環のスピードを上げる。それは早くその場から逃げる為です。

現代人は刺激過多の為に、自律神経が疲れています。その証拠が、現代人は古代人と比べて呼吸の数が倍以上多いらしいです。
それは自律神経に於ける交感神経の過剰が挙げられます。

携帯電話一つ挙げてもそうです。
これの普及のお陰で様々な情報を瞬時に受けとることが出来るようになりました。

ほんの30年前にはほとんど普及していなかったですが、現代では無いと生活しずらい世の中になっています。

古い話では電灯もそうです。

いつも明るさを享受出来る生活は昼間を長くさせました。

もうそれが無いと生活しずらい環境に現代はなっています。

心も同じだと思います。
自分に
過去に縛られるのは自分を反省する意味合いも一つですが、ある意味過去の辛い経験も心の刺激になってしまい、人間は刺激を求める本能があるが故に、負の連鎖から逃れられないのだと思います。

私はそう思い、自律神経を整えるトレーニングに取り組みました。

一番簡単なのは、深呼吸をすること、それと心が乱れた時は少しの水を飲むことです。

肺という機能は随意筋と不随意筋が併さった唯一の臓器です。

これをコントロール出来れば、心の安寧をいくらかコントロールすることが出来ます。

それが出来ないと過呼吸やパニックを引き起こします。

大切なことは、自然の摂理を知り、それと照らし合わせて自分の状態を客観的に見ることだと思います。

直系御先祖から連綿と受け継いできた思考の角度が、自身の思考の基礎になっているとしたならば、
また、それが至らない考えだとしたならば、

どこかで誰かがそこに気が付かないと未来は変えられないと思います。

御先祖が悪いという話ではなく、家系の成長発展の話です。

そしてそれが『魂の成長』と言い換えられているのかも知れません。

たくさんの人生が綾なり世界が彩られるならば、過去から連綿と続いて来た思考もその世界の基礎となっているのだと思います。

産まれた時は原始時代からやり直したという話は聞いたことがありません。

なぜそんなことを考えたのかと言うと、やっぱり子供達の為です。

負の連鎖を自分のところで断ち切りたかった。

その為の方法をいつも考えています。

今私が思うのは、子供達に会えた時に心から幸せだと自分が示すことで、
そこからきっと、
あの子達の本当の笑顔が見ることが出来るのかも知れないと思っています。

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コメント

  1. アベ ミチコ より:

    はじめまして。
    大学生の息子と喧嘩をして、
    昔の私がしたことを(体罰も含め、全てに厳しすぎたんです。)
    いまだに恨んでいること。聞きました。
    仕事も手につかず、
    いろいろと、ネットでみていたら
    こちらにつきました。
    まだ、全部は読んでいませんが、悲しくなって思わず
    コメント残したくて書いています。
    やり直したい時間、もどってこない時間
    後悔してもどうしようもないこと、たくさんです。
    だから 優しくしたいけれど
    なかなか 受け入れてもらえず、いつも帰省のたび、ケンカです。
    こんな愚痴コメント失礼だと思いますが
    聞いて欲しかったので書きました。
    お子さんに会えるといいですね。
    がんばってください。

  2. よりこ より:

    虐待児童は概ねもう自分の意思を持つことを青年期になるまでに放棄しています。
    そして専門的に自分を分析していない限り支配関係の下に自分を置くことを自然と選びます。
    さびしそうな笑いは、本当の自分を出せなかった日々に対しての無力感で、その下には甘えたい子供がまだいます。
    ふとしたことで外界の人間に自分の中の子供を見つけて貰った。
    だから、急に少女が顔を出した、もう自分でもコントロールの効かない暴れん坊です。
    ADの典型的なケースです。その抑圧するエネルギーで本人もとても苦しかったと思います。
    こういう形になって結果としては、良かったのかなと思いました。

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