妻は精神病 今の僕の気持ち 25

毎週日曜日はだいたい公休日で子供達と接する事が出来た。

が、詩織は子供達といると鬱状態になってしまう事が多かったので、だいたいがソファで寝たきりになる。

よって、朝から子供達に係りっきりになるのだが、幸い私は子供が好きだったらしく毎週の休みは楽しみに過ごす事が出来た。

なんだかんだ言いながら子供達に朝ごはんを食べさせて詩織にコーヒーを入れる。

「今日はどこに行きたい?」

と聞くと

「こうえん!!」

と声を揃えて言う二人。

毎週、毎週違う公園に連れて行った。

午前、午後と。

行く時に水筒を持たせ、時にはお弁当を持っていった。

「じゃあ、ままいってくるね!」

「行ってらっしゃい」

私達が出掛けると、おもむろに掃除や洗濯を始めるようだ。

休みながらも、家事は一所懸命こなしている様子だった。

帰ってきて晩御飯を作る。

調子がいいと詩織が作るが、何週間も私が作る時もあった。

休みの日はそんな風に過ごした。

結婚する前からピクニックは好きで、よくお弁当を作って二人でドライブに出掛けた。

優菜が生まれてからも三人でよく出掛けた。

最近でもたまに優菜が言う。


「今日はどこに行きたい?」

優菜
「おべんとう作ってピクニックに行きたい!ママが元気だったときみたいに。」

―続く

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娘が願う『幸せ』とは私が求めていたものと同じだったと思います。

『あれは特別な時間だった』と幼い娘も気付いていたんだと思います。

『楽しかった記憶』が
あって良かったのか。

逆にそれがあったからたくさん辛い想いをさせたのかも知れません。

家族が皆健康で笑い合う家庭

かけがえのないものとはそういうものだと思います。

詩織さんは幼少の頃、それよりももっと大変な思いをしたから、自分の心を守ることで精一杯になり、そう思えなかったのかも知れません。

それは過去に心が縛られ続けているからで、誰もその心の闇に気付くことが出来なかったからかも知れません。

そう思えば、ここで過去の心の解放は詩織さんにとっても良かったかも知れません。

しかしまたこの記憶が『負の連鎖』を生む基礎となるかも知れません。

結局それが『何をしても無駄だ』という無力感に繋がります。

何が正しかったかは私にはわかりません。

ただ、出来ることは、その時その時で自分の思う最善の道を選ぶこと。
そしてそれを後悔しないことだと思います。

時に『反省』と『後悔』が混同して、自分が落ち込むことがありますが、それこそが『人間』というものなんだと思います。

もし『後悔』が襲ってきても、それも良し。
『後悔』しないように生きるのも、それも良し。です。

世の中の正しいことと間違っていることは曖昧なんだと思います。

だからこそ戦争が起きるのだと思います。

そうならない為に、人間の本質を知り、思考の角度を変え、原因を相手と自分に限定するのではなく、『気持ちを譲り合う』ことが大切なんだと今は思います。

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コメント

  1. よりこ より:

    子供時代に楽しい時間がなかったら、誰が大人になって楽しい時間というものを共有できるようになるでしょうか。
    辛いことがあっても楽しい時間があったからこそ社会に出てもそういう明るい時間を過ごす可能性を持てるのです。沢山子供には自然を見せてのびのびと遊ばせることです。ですから、良かったのだろうかなんて思う必要はないですよ。

    貴方も自分に無闇に厳しすぎる部分があるように思います。
    貴方自身のものの考え方にまだ幼いところもあると思います。
    それは、経験も考えも未熟な子供であるうちから、貴方が自分を育てて来ざるを得なかったからです。家族に対する価値観も含めて今からはそれをまた見直して一段成熟する時期なんじゃないでしょうか。
    なぜ引っかかったかというと「家族が皆健康で笑って暮らせる家庭」というのはまず、あり得ないからです。
    でもそうなり得るパートナーをしっかり選んでいく事は出来ますよね。そこに初めて自分の責任が生まれます。そういう事も、きっと、お父さんは、言ってくれなかったんじゃないでしょうか。
    きっとお父さんのようにはならない、なりたくない!と思うあまりのちょっとした幻想を
    そのまま抱き続けているのではないですか。その辺りを見つめて行かないと、周りに無理を押し付けることを繰り返してしまうし、堂々巡りになってしまうのではないでしょうか。

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