妻は精神病 今の僕の気持ち 28

子供達の事。

心の傷は一生消えない。

母親からの暴言と暴力。

三歳と一歳で母親から離された生活。

―心も体も拒絶された生活…。

父親からの愛情だけでは決して満たされない想い。

渇望していた二人

『母親に愛されたい!』と

この頃の子供達を思い出すだけで胸が締め付けられる。

『俺が母親だったなら…!!』

何度そう思った事か!

幼少期に母親の愛情に勝る心の栄養は無い。

あの姉弟はニ年間それを知らずに成長した。

空白のニ年間。

私は妻と運命を共にすると決める以前から

この姉弟はすでに『母親が精神病』という宿命を背負っていた。

その幼い小さな背中に

たくさんの想いを乗せた。

淋しいとか

愛されたいとか

なんでこうなったとか

私ばかりとか

寂しいとか

淋しいとか

寂しいとか…

ただ母親と一緒にいたいという純粋な気持ち

まだ詩織の病気がわからない頃、

当時三歳だった優菜は私が仕事の時に、一生懸命詩織と健斗のお世話をしていた事があった。

22:30に帰宅。

ただいま…と居間に入るドアを開けると部屋の中はゴミ箱をひっくり返したようだった。

「あ!ぱぱおかえり、けんとだめ!」

健斗は辺り構わずゴミを投げ散らかし、お菓子を貪っていた。

「ああん、けんとだめぇ」

「おかたずけしないとままにおこられちゃうよ。」

…多分、今日は一日一生懸命に健斗の面倒を見てくれたのだろう。

床に散らばったオモチャ

近くに転がったおむつ

テーブルの上の拭ききれていない飲み物の後

無造作に置いてある健斗の着替え…

朝、私が仕事に出る7:00から帰宅した22:30までの15時間半。

病気の母親を気遣い、一歳の弟の面倒を見て、

…そして帰宅した私に笑顔をくれた。

私の両目からは涙が止まらなかった。

そして娘を抱き締めた。

「ぱぱいたいよぉ」

まともに優菜の顔が見れなかった。

ベッドの上では冬眠中のさなぎの様に詩織がうずくまっていた。

―続く
————————————————————————————————————

3歳の娘は必死に弟のお世話をしていました。

今思い出しても胸が締め付けられます。

まだまだわがまま言いたい放題の自分を必死に抑え、自分の出来る精一杯を与え、それで泣くこともなく、泣いてすがるでもなく、私に笑顔をくれた娘はどんな気持ちで一日を過ごしたのだろうか。

ただひたむきに
ただひたむきに

子供達を想う時、心がとても苦しくなります。

逢いたい

ただ逢いたい。

たくさん話がしたい。

同じ時間を生きたかった。

子供達と同じ空間を
子供達と一緒に生きたかった。

子供達のことを思うと冷静ではいられなくなる。

心が苦しくなる。

『パパは元気でやっているよ。』と伝えることが、子供達も安心するからと言われ、手紙にはそう書いてきたけれども、

本当は違う。

それを選んだのは自分だけれども、
理屈じゃないんだ。

ただあの子達に逢いたい。

だけど、それを選んだのは自分なんだと

歯を食い縛り
じっと我慢し続けました。

あまり歯を食い縛り過ぎて、2年前に右の奥歯が砕けました。

それで今、右の奥歯はありません。

それから歯を食い縛ることは止めました。

歯を食い縛った方が、なんか胸の苦しさが耐えられる気がしましたが、止めたら止めたでなんとかなるものだと思いました。

子供達のことは、今でも自分の中で整理がついていないのだと感じます。

あの子達が大人になってから、
話をたくさんしてから、

そこから時が動き出すような、

そんな気がします。

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コメント

  1. まかやら より:

    私は似たような所で、現在奮闘中です。
    「俺が救ってやる」と当初は息巻いたのですが、心の問題はそう甘くはないですね。

    徹底的に現実とやり合う姿勢とエネルギーには感服しました。
    まさに努力の人とは貴方のことです。
    私も貴方のように目の前のことに全力を尽くす人間に近づきたいです。

    色即是空は、般若心経の一節ですね。
    たまには息抜きに不思議なものとの付き合いもいいかもしれません。
    ここに神秘のお部屋を紹介します。

  2. ボタン より:

    ブログ、読ませていただきました。
    自分と元夫との関係がオーバーラップしました。
    20代でした、私と元夫も。
    他人事とは思えない内容で、読んでいて胸が締め付けられる思いでした。

    私にとって元夫は、地獄の日々を一緒に戦ってくれた「同志」であり「戦友」です。
    殴られ身体に痣ができたり、髪を引っ掴まれたり、肋骨にヒビが入ったりもしましたが、それでも私は今も元夫に感謝しています。
    元夫は私の唯一の家族・味方になってくれた人だったからです。

    私には摂食障害があり、離婚の数年前には回復していましたが、離婚後また再発しました。
    唯一の家族の喪失である離婚は、私に「自分は何のために生きているんだ?」という問いを今も投げ続けさせています。
    元夫と一緒にいた10年間、私は自分の障害と真っ向から戦ってきたという自負がありました。
    また、障害を治して彼との子どもを産んで絶対に幸せになるんだ!という気概がありました。
    でも、その自負と気概は、夫の浮気という裏切りで、脆くも崩れ去りました。
    私は自分の夢と希望を一心に託した唯一の家族を失ったのです。

    私は今ひとりで生きています。
    なぜかモテるのでアプローチをしてくれる男性もいるのですが(苦笑)今はひとりで頑張っています。
    当時の夫の計り知れない孤独と血の涙に想いをはせ、当時の自分の身体が引きちぎられるような苦痛に想いをはせ、今の果てしなく押し寄せる孤独と無言のうちの涙を噛みしめながら、生きています。

    現在、週一回のカウンセリングで「対人関係療法」(複雑性PTSDに現在もっとも有効とされている治療法です。)を受け、私は自分の過去から現在、未来の切り札となるトラウマに向き合っています。
    ブログ内で書かれている奥様の症状は、私からするとまさに複雑性PTSDの症状に思えてなりません、ゆえに境界性人格障害という診断を受けその治療で終始されたという事が悔しく思えてきます。
    薬物療法は一定の精神障害に対しては効果を存分に発揮するものですが、私の場合には人格を変容させ解離症状を持続強化させるに過ぎませんでした。
    百害あって1利なしでした。
    ちなみに、私も当時ボーダーの診断を受けた経緯があります。
    私はその診断にひどく傷付き狼狽し症状はさらに悪化しました。
    服薬で軽躁状態となり、奥様と同じように恰好が派手になったり感情の抑制がきかずに怒鳴り散らしたりもしました。(万引きや性的逸脱行動はありませんでしたが、大量服薬でICUに運ばれ生死の境を彷徨ったことがあります。)

    もし、もしも今も未だ当時の事柄に対して答えを求めていらっしゃるようでしたら、一度、対人関係療法の本に目を通してみてください。
    奥様の理不尽さ暴言の原因が少し見えてくるかもしれません。
    主様に原因があったわけではけしてないという、明らかな落としどころが見えてくるかもしれません。
    私がお勧めするのは、複雑性PISDに特化した対人関係療法の本です。

    どうか、傷が癒える日がきますように、深く強い願いを込めて。

    追伸:上記のブログ(fc2ブログ)にリンクを貼らせていただきたいです。無名のブログで申し訳ありませんが、もしお許しをいただければ、ぜひ。よろしくお願いいたします。

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