妻は精神病 今の僕の気持ち 32

タダシが消えないらしい。

家にいるのが嫌だからというので、昨日は夜の3時頃まで近所にカラオケに行った。カラオケが出来てマンガも読める。

今日は9時から子供たちに起こされて11時から歯医者行った。

優菜と健斗の買い物して、家に帰りたくないというのでドーナッツ屋さんに行った。

服買いに行くか?本屋行くか?夜どっか飯食いに行くか?食品買いに行くか?風呂入り行くか?子供たち遊ばせに行くか?カラオケ行くか?ビデオ屋行くか?等々全て却下。

しかも家に帰りたくない。

一つ聞くとしばらく沈黙で、また聞いても沈黙で、最後に嫌な顔して言葉濁して困った顔する。

こっちがイライラしてもう耐えられなくなって母ちゃんに電話して来てもらった。

あー俺ってまだまだ器小さいなー。

と思った。

母ちゃんの家に詩織が連れられて行った。

俺は少し気が休まる。

子供達が少し寂しそうだ。

たまに自分が嫌になる。

続く

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『身の置き所が無い』といった様子でした。

自分の経験と照らし合わせると風邪をひいて高熱が出た時に『身の置き所が無い』状態になったことがあります。
そう考えた時に、何をどうしても辛いものは辛いのだと今は思います。

辛いものを取ろうとする行動を探すことに重きを置くのではなく、辛い気持ちにより寄り添うことの方が今は大切ではなかったのかと思います。

『その気持ちを紛らわせる方法』ではなく『気持ちに寄り添う』
『方法』を探すのではなく『理解』する。

多分、そうしたとしても結果は変わらなかったと思います。
ただ、私がいらいらすることは無かったと思います。

相手に答えを求めても、辛いものは辛いのです。
だから、気持ちをわかってあげることがその中でも少しは安らげる空間を創ることが出来たと思います。

想像することは創造すること。

この世界は『思い』と『想い』が現実を創りあげることを知りました。
そしてその流れは、心も身体も簡単に傷は付きますが、ひどくゆっくり回復させるという特徴があります。

傷が出来るのは一瞬です。
刃物で指先を切るのは一瞬です。
その傷が治るのは時間が掛かります。

心も一緒だと思います。
心に傷を付けるのは自分です。
そこには思考の角度が関わっていると思います。

例えば、会社の同僚が「頭が痛い」と言った時、

「私のせいで頭が痛いっていうの!?」と相手と自分の心を傷付けるのか、
「私のせいでごめんなさい」と自分を傷付けるのか、
「大丈夫?」と相手を労るのか。

どれが一番幸せに繋がるでしょうか。

その思考の角度を選ぶのは自分自身です。
幼い頃に思考の角度が形成され、そしてその角度はその人の人格を形成する。
だけど、それを知ることが出来れば、その角度はいつでも修正することが出来ます。
その修正を邪魔するのが『感情』です。

私が思う思考の角度の修正の仕方は、『飛び越える思考』を持つことです。
英語で『ラテラルシンキング』と言います。

小学校の問題です。

《問題》
ここにバナナが4本あるとします。
このバナナを3人の子供に分けるにはどうしたら良いでしょうか?

《答え》
1と3分の1ずつ分ける。

これが私達の幼い頃から学んだ思考の角度です。
これを『ロジカルシンキング(論理的な思考)』と言います。
『飛び越える思考』とはどんなものでしょうか?

一つ、
『バナナをジューサーに掛けてジュースにして分ける』
一つ、
『そのバナナを元手にして道行く人に売り、それで得た利益でたくさんのバナナを買い分ける』
一つ、
『サルにあげる。そしてサルにバナナを探してもらい、たくさんのバナナを得て分ける』

つまり答えは一つではなく、自由な発想で答えを得る方法です。
これをご覧になっている方の中にもiPhoneをご使用なさっている方がいると思います。

かの有名なスティーブ・ジョブスさんがラテラルシンキングをお持ちだったそうです。
『自分ならこういう端末が欲しい』という思考の角度が『自分で自分の端末をカスタマイズする』という『アプリ』が産まれました。
凝り固まった思考の角度を打ち壊す方法の一つとして、『ラテラルシンキング』は有効だと思います。

まずは自分の思考の角度を知ること。
そして様々な思考の角度がないか、想像することです。

想像することは創造すること。

その想像がネガティブであればネガティブに傾き、ポジティブであればポジティブに傾きます。
そして、その上でネガティブシンキングが在って良いと知ることが肝要だと思います。

光と影、二つ合わさっての世界があり、どちらも必要だからあるのだと思います。
ネガティブシンキングの必要性とは、私が今思うのは、『マイナス思考とはプラス思考の為に在る』ということです。

マラソンをしてたくさん走った時、その後に飲んだ水が甘かった記憶はないでしょうか。
それはその時の身体にとって甘く感じるくらい水が必要だったからです。
身体を酷使した結果、身体にとってのマイナス作用がプラスをより大きく作用する。つまり水を美味しく感じる。
さらに身体はマラソンをしたことにより筋肉が付き、より大きな負荷に耐えられるようになる。
私は心も同じだと思います。

そして鍛えられた心はより強い困難に立ち向かえるようになるのだと思います。
その上で、そう思えない人がいていいと思います。
それは私の思考の角度であって、それは人それぞれだからです。
自分はこう思うから、あなたもこう思うべきだという思考の角度は間違っていると思います。

いろんな人がいて、この世界は成り立っているのだと思います。
だから、一人一人が自分の思う通りに生きるのがいいと思います。

ただ、それで相手を傷付けたり、自分を傷付けたりするよりは、思考の角度に注目して、そこを拡げることに着目すれば、ほんの少し生きやすくなるんじゃないかなぁと
私は今思います。

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