妻は精神病 今の僕の気持ち 35

貴子さんは妻の病院友達で、妻と同じ『境界性人格障害』を持っています。

病院で知り合った『統合失調症(以前は精神分裂病と呼ばれていました)』の男性と一年半くらい前に結婚しました。

最近旦那さんの症状がおもわしくなく、貴子さんを拒否し、家に入れてくれないらしいです。

昨日、今日と家に来ていますが、今日泊まらせてもいい?と妻から打診がありましたが、却下しました。

えぇ、私は冷たい男なんです。

他の精神病患者が私の実生活に入り込むのを許しません。

差別的な言葉に聞こえると思いますが、正直、妻の友人でも他人の精神病患者まで面倒見きれません。

だいたい精神病患者同士分かってて結婚したんだろうが!・・・

…と、ちょっと思ってしまいます。

妻の病院友達には『ちょっぴり近寄りがたいダンナさん』的なスタンスをとっています。

…まぁ、微妙な距離を保っていますが、個人的な意見をもし貴子さんに言うとすれば、「精神病患者同士の結婚なんぞ絶対にうまくいかないから別れろ。」…と。

離婚率が90%。

妻の病院の友人はその貴子さんともう一人のおばちゃん以外みんな離婚しています。

…まぁ好きにすればいいですが。

続く
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詩織さんの交遊関係についてですね。

ここでも当時の私は様々な思いが交錯していました。

一つは子供達に対する環境です。

後にも出てくる窓ガラスが割られてしまう事件がありますが、具体的に社会道徳に反する行為を行い、そしてそれを病気が原因だと病気のせいにし、更には世の中が犯罪を犯しても精神錯乱状態なら罪に問われないという風潮が横行している為、結局は自分の家庭は自分で守るしかないという判断でした。

それは今でも変わりません。

病気だからといって、何をしても良い世の中ではありません。

避難されるのはいつも家族なんです。

またもう一つは詩織さんに対する環境の懸念もありました。

万引きの件にしても、詩織さんの病院の同じデイケアの方が周りで「ごねたもんがち」や「これくらいいいでしょ」のような誤解を招く行動が横行していて、それが若干ちょいワルの感覚になっているような印象を受けました。

中学生が「あそこの店から〇〇ギって来たさ」(ギる=盗むの隠語)というような感覚です。

そんな環境の中にいるから、ちょっと反道徳的くらいが普通だと感覚がズレてしまうような感じを受けました。

例えば家に帰ると人のベッドで普通に寝ていたりとか、突然パニックになってガタガタ震えていたりとか、夜中まで知らない男の人と車でずっと話していたり等、子供にとってあまりよい環境とは言えません。

それを話しても、「あなたは冷たい」とか「私の友達と合わせてくれない」(連れてこないで欲しいと言っているだけ、更に『交遊関係の制限』というDVの案件に引っ掛かる模様)などと言われてしまう始末です。

そして聞こえる声で友達に電話し、これみよがしに「旦那がダメだって-、皆いい人なのに精神病だからダメって言うんだよ!うん、うん、いや私はね、皆のこといい人だって言うんだけど…うん…うん…(←泣き出す)グズ…ごめんね、私が悪いんだ…うん…あ!いや!そういうことじゃないの!あ!ちょっと待って!(←相手も不安定になってパニックになりかけている様子)わかった!今から行くから!」
と『あなたのせいで友達がパニックになったから出掛ける』みたいなことが何度かありました。

もうこれはすごく難しい問題だと思います。

特に詩織さんは基本的に優しく、若く、ルックスもそれなりに良く、家庭があり、持ち家もあり、家事は出来る時だけで良く、仕事をしなくても生きていける環境にあり、同じ精神病のお友達からはかなり羨望されているように感じました。(そういう話を詩織さんのお友達からたくさん伺いました)

周りの印象から、その病院では、よく学校なんかであるヒエルラキーの上位に位置していたような印象がありました。

『主には主あるを知ること』と言いますが、例えば会社でも、社長の上には主要銀行があり、厚生労働省があり、その上には国があり、そして国のトップは国民が決めるという『上には上がいる』という原則がありますので、私にとってはヒエルラキーなんていうものはあまり大切な項目ではないのですが、少なからず詩織さんにとって自身のアイデンティティーを形成する上では、知らず知らずの内にそこに在る自分が自分を形成する一つになっていたのかも知れません。

今書いていて思ったのですが、ひょっとしたらそういう生活も窮屈に感じていたのかも知れません。

だから何もかも捨てて、遠い地で新生活を考えたという一因もひょっとしたらあるかも知れません。

もちろん私との生活に限界を感じていたのが一番の要因であると思いますが、不貞の際にも「あの人だったら私のことを愛しているから大丈夫」という発言を、それが露呈した場で母と主治医に話していたそうなので、私に対する甘えの払拭ももう一つあったのかも知れません。

また、これは信じたいのですが、この環境に対する子供達への悪影響も懸念していたのかも知れません。

私は一貫してそれを伝え続けてきたので、お人好しかも知れませんが、そこは一因として根底にあったと信じたい気持ちです。

上記に関しては他人の精神病患者が家庭に入り込まないように、ちょっと冷たい態度を取ることしか当時の私には出来ませんでした。

甘い顔を見せると、どんどん人の家庭に侵食してくる、依存してくる様子を見せます。

それは『私は詩織さんと仲がいいから家に行ったことがある』というその方の自尊心が満たされる行為もあったと感じます。

今でもこれは何をどうすれば正しいのかはその時の環境になってみないと何とも言えませんが、当時の私の行動が悪いとは思いません。

病院のデイケア内でも誰と誰が付き合って、誰と誰が別れたという話が横行していました。

これは多様な『見捨てられ不安』『奔放な性行為』という症状の現れだと感じています。

恋愛は一応禁止でしたが、それこそ中学校のように合ってないような規則でした。

逆に言えば、そんな不安定な方達だからこそ、より幸せな恋愛を望むのかも知れません。

それについては何を申し上げることはありません。各個人の自由だと思います。
ただそれで家庭を乗り越えて周りを巻き込むのは勘弁願いたいという私の個人的な気持ちはあります。

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コメント

  1. こま より:

    優和さま

    なんとなく辿り着いたこのサイトで、奥様のこと読ませて頂きました。頑張ってたんですね。お疲れ様でした。

    読んでいて、主様のお子様たちが心配ですが、きっと大丈夫とお伝えしたくてコメントを送ります。

    私の母は統合失調症でした。
    私を産んで発症したらしく、母は私を育てられず、私は2歳まで祖母に預けられていたそうです。
    合う薬が見つかってからは、専業主婦で私を育てていましたが、普通の母親とは違っていることは幼い私でも薄々感じていました。
    しかし、だから、私がしっかりしないとという気持ちが育ちました。
    父が三交代制の仕事だったため、不在のことも多く、父がいない時は、な〜んもできない母に代わって私がせねば!という感じでした。

    家に帰るバスに乗る予定が反対車線のバスにのったり、遠方の祖母の家に行くのに電車の乗り換え間違えたり…
    私が3歳の頃にそういう経験を散々したため、幼稚園の時には母に代わって道案内ができるようになり、わからなければ駅員や人に聞くということを覚えました。
    当時は極度の方向音痴なんだと思っていましたが、迷っているのに人に聞けないあたりが病気だったのかもなぁ…

    小学生になると、周囲の友達や親たちが、私の母が普通ではないことに気づきはじめ、私も母が原因でイジメにあいました。親から私と関わらないように言われる子もいたようです。
    幸い、母に理解ある人もいて、私が選ぶ友達の家族はみんな穏和で理解があって、母も助けられておりました。(ただ、調子にのって連絡網使って友達の母を毎日のように長電話に付き合わせて困らせてたので、電話禁止!って怒ったことありますがw)

    私は友達運と教師運が良かったので、性格曲がらずにすみました。

    また、父の親族も、人の悪口を言わない良い人ばかりでしたので、親族集まって女は料理や家事をしないといけない場面でも、うちの母はお人形のように可愛がられ、何もしないでいてもOKな状況でした。
    (代わりに私がオバにこき使われてましたがw)

    でも、一番頑張ってたのは、やはり父でしょうか。

    私が高校にあがった頃、母が糖尿病になってしまい、それまで長く服用してた薬が使えなくなりまして。
    統合失調症って、薬をやめたり乱用したりして飲んでる薬が合わなくなると、次の薬を探すのが大変らしくて。母も、私が小学、中学と9年間、薬で落ち着いてて、ちょっとズボラな主婦程度で済んでたのが、薬を変えないといけなくなったために、病状が悪化してしまったんです。

    私は学校で進学補習を受けていたし部活もしていたから帰りが遅かったのですが、しょっちゅう、学校にまだ帰らないのかと問い合わせが入ってました…
    慣れてからは帰宅時に電話を入れるクセがつきました。
    とうぜん、寄り道なんてできません(´・_・`)
    (コンピニで買い食いしてたけど)

    そんな調子で高校大学と束縛された日々でしたが、父が懸命に母を説得して、私に自由をくれました。

    私の知らないところで、灯油かぶったり、リストカットしたりもあって、何度か緑の救急車にもお世話になってました。
    朝起きたら両親いなくて、学校から帰ったら母が入院してたりとか。

    学生の間は、入院しても面会に連れて行ってもらえませんでした。父が一人で頑張ってました。

    社会人になって、母の病気を詳しく聞きました。統合失調症という病名は中学の時に聞いてたけど、その原因が母方の祖母であることや、現状などはその時に詳しくききました。

    そして、父が言った言葉。
    「お前が結婚する時には親子の縁を切るから、お母さんのことは気にせず自分の人生を歩みなさい」

    父は一人で母を背負うつもりでいたようです。
    でも、そうはいかないのが結婚というもの。
    私はよっぽど理解ある男じゃないと結婚できんな〜と、いつしか結婚を諦めるようになってました。

    しかし。母は乳癌を患い、そこから体調がすべて下り坂で、乳癌そのものは手術で取り除いたのですが、入院生活やらいろんな薬やらでトーシツの方が悪化し、結局、長年の薬漬け生活で体も弱っていたんでしょう、52歳で早くに亡くなりましたので、私も気兼ねなく恋愛&結婚ができました。

    私は、母を反面教師で見てきました。幼い頃、母にガラスの器で殴られたこともあるけど、これまでは真っ直ぐ育ってきました。
    それはもう、周囲の環境に感謝です。
    父が言うには、良い環境は私自身が引き寄せたものだと。友達運が良かったんだと。

    だから、主様のお子様たちも、きっと大丈夫です。
    苦労はするかもしれませんが、あなたの愛情を受けて育った5年間があるから、自分の宿命をちゃんと歩けると思います。そして、人に優しい素直な子に育つと思いますよ?

    主様は、悪環境に引っ張られないか心配なようですが、ちゃんと善悪はわかるようになるし、学校で正しいことを教えるし、友人関係から正しいことを学びますから、大丈夫だと思いますよ。

    私ね。幼い頃、母に教わった「?」なことが1つあるんです。
    スーパーでね、母は空きカゴをサッカー台の上に必ず放置して帰ってたんです。だから、私はそれを片付けるクセがついた。(よそのおばちゃん
    たちは、片付けてたからね。)
    でも、母に怒られたんです。手をバシッと叩かれて。「カゴは店員さんが片付けるから、そのままでいいの!」と。。。
    泣きましたよ。小学校2年生ですもん。
    でも、ちゃんと、母がおかしいことはわかってましたから、自分一人でおつかいした時はカゴ片付けてました。ちゃんと善悪はわかるの。子供でも。

    だから大丈夫。それを伝えたくて。

  2. ひなぎく より:

    全部よんでしまいました。
    25歳の私ならこんな対応できないと思います。
    と、いうか今の歳でも。

    会えない分、お子様達が幸せであるといいですね。

  3. モンステラ より:

    こんばんは

    今日の朝、知恵袋を読んでいて偶然見つけました。

    こんなことってあるのか、という驚いた気持ちと、あなたの優しさ、子供たちの不憫さに涙がとまりませんでした。

    自分にも兄がいて統合失調症で、20年間実家に引きこもりです。

    原因は子供の頃のいじめと、父親の虐待によります。

    初期の頃は同じようにすぐに良くなると軽く考えられていました。

    しかし、日を追うごとに症状は悪化し、薬の量も増えて現在でも回復の余地はみられません。

    まだ、なんとか両親が健在ですが、母は心臓病を患っておりあまり無理のきく身体ではありません。

    頭では理解していたつもりなのですが、兄の症状とにている面もあり、こちらのブログを読むまでは、半ば強引にでも施設にいれないと、母がまいってしまうと焦っていました。

    そのため、さんざん苦しめられてきた兄に対して、愛情のない言葉をかけてしまうところでした。

    精神を病んでいる人もつらいし、周りもつらい。

    同じ気持ちにはなれないかもしれないけど、共に歩んでいこう。

    そう思えるきっかけになりました。

    ありがとうございます。

    そして、長い間本当にお疲れさまでした。

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