妻は精神病 今の僕の気持ち 36

家の窓ガラスが破られました。

泥棒さんではなく、嫌がらせらしいです。しかも石を投げたとかではなく、固いもので叩いた感じらしいです。

帰宅して金魚ちゃん達の様子を見に行った時は何も無かったので0:00~6:30までの犯行。

一週間位前に夜中3:00頃ピンポンダッシュがあり、恐らく同一犯ではないかと思われます。

私が考えられる犯人は、

・詩織の病院の患者さんによるもの。
(病院内では目立つ方らしいので逆恨みで)

・この間、不正で退職した新人君。
(常識外の行動をする為)

・この間返した牛乳屋
(常識外のセールスによる逆恨み)

位かなぁ…

…いくらかかるんだろ。

損害保険とかないのかなー?

大変ブルーな朝を演出してくれました。

朝から警察屋さんを呼んで被害届けを出しました。

…仕事する気にならん。

続く
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実害が及んだケースです。

計画的犯行です。

その後犯行予告の紙が精神病のお友達宅から見つかりました。

お相手は統合失調症。

いちいち余計に絡んで、思い違いな復讐をされて家族に危害が加わっても困るので泣き寝入りでした。

『病気がさせている』

私は病気ならば反社会的、反道徳的行為をしてよいとは思いません。

犯罪を犯すのは病気のせいだ。
その人が悪い訳ではない。

『五体不満足』の著者である乙武さんは『障害も私の個性だ』という旨のお話があり、素晴らしいと感じたことがあります。

ただそれを他の人が自身のご都合のいいように引用してはいけないと思います。

その差は『愛』なんだと思います。
乙武さんのように、『周りに対する愛』が元で、これは個性なんだからと話すのと、
自分を守る為のいわゆる『自己愛』の為に、
これは個性なんだからと話すのは、同じ言葉を遣っていても意味が違うと思います。

例えば喉が渇いている時にパートナーが水を持ってきたとします。
「これはあなたの水だよ」と差し出されるのと、
「これは私の水だよ」と差し出されるのはどちらが愛のある言葉に聞こえるでしょうか。

『障害者』と認定されれば、その度合いから年金が支給されたり、公共機関が割引になったりします。

その恩恵は障害者として受けて、別では『障害者』を認めたがらない方がいます。

精神病の方々の言葉で『オープン』と『クローズ』というものがありました。

病気を『オープン』に話すか、『クローズ』して隠すかということです。
もちろん、状況に応じて話すこと、話さないことは必要ですが、自分にとって都合の良い時は『オープン』で、悪い時は『クローズ』する。その類似した話が、自分の都合の悪いことは『病気がさせている』と言い、その逆では『障害者を差別するな』というお話をされるということです。

私はどちらも『自分』なのだと思います。

『障害者』を守るという社会は大切だと思います。

また、『障害者』の方皆が社会道徳から外れる訳ではありません。

犯罪率を見ても障害者の方の犯罪率が健常者と比べて高い訳ではないということです。

つまり、病気がさせているのではなく、その方の中にそういう素因があるのだと思います。

私は様々な障害者と言われる方やご家族とお話をさせていただきましたが、確かに症状として怒りっぽくなる等はありますが、犯罪を犯すことはありません。

殺人は悪いけど、人の家の窓ガラスを割るのはそこまで悪くないのでしょうか?

もしも自分に実害が及んだらどう思うのでしょうか?

もしもイジメを受けたとして、イジメをした方が後に統合失調症だと判明した場合、あなたが受けた傷は『病気だから仕方ない』と割り切れるのでしょうか?

自分の家族がいつ加害者になる恐怖を考えたことがあるでしょうか?

自分が毎日、今日こそ愛する妻に殺されるかも知れないと考えたことがあるでしょうか?

寝ている間に包丁で刺されるかも知れない恐怖を知っているでしょうか?
もちろんそのような事実はありませんので、私の被害者意識が度を越えていたということもあると思います。

しかし、現実に包丁を突き立てられ、その刃物で割かれ、毎日のように自殺を示唆され、罵声暴力を受けたという事実から、
それがこれからいつまで続くのかという絶望を経験を致しました。

私にとってはそれらを全てひっくるめた『覚悟』でした。

『明日命が無くなれば仕方ない』

と毎日を生きました。

一日だけじゃない。
毎日押し寄せるその波を感じて生きてきました。

それでも、
それでも負けるかと思って生きてきました。

私が思う『命を掛ける覚悟』とは『明日は生きていないかも知れない』という覚悟です。

だから精一杯生きました。

毎日が最期の日かも知れないと思い生きてきました。

今日が子供達に贈ることの出来る最期の笑顔かも知れないと何度も思いました。

そんな経験はしたくなかったですが、重度の精神障害者の家族がいる方ならこの気持ち、必ずわかってくださると思います。

あなたは愛する人からいつ殺されるかも知れない環境に身を置いたことがありますか?

私はそこまで追い詰められて生きていました。

だから何も無くなってから何年も『何の為に生きているのか』を考え続けた訳です。

だから今なら、自分の心も守る為にも『距離を置くこと』が大切だと思います。

しかし、その経験を踏まえて、その後得た『生きている』のではなくて『生かされていること』に気付いたことは、私にとって素晴らしい意識改革をもたらしてくれました。

とにかく、病気が原因だとした時に、ではその行動が起こらないように対処したか否かの責任は『自身』にあるのだと私は思います。

自分の人生はその全てに於いて『何を経験してどう行動したか』の自己責任です。

同じ環境の中でも、自ら命を断つ人と、それでも立ち上がる人がいます。

不幸にも環境が整わなく、生きづらい人生に身を置く方もたくさんいます。

大なり小なり、その人生に於いて、様々な環境と経験があるのだと思います。

そして、それに耐えられなくて不安定になったっていいと思います。

そんな時もあると思います。

そんな時に、愛の方向性を間違わずに、自己愛、利他愛が表裏一体であることに気付くことが幸せな人生に繋がるのだと私は思います。

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コメント

  1. 詩織 より:

    優和さんのサイトを拝見させていただき、悲しい思いや苦しい思い、時には怒りなど様々なことを感じ、そして思考することができ、自分の思考と心をより深めることができました。
    このサイトを作っていただきありがとうございました。感謝いたします。

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