ご覧頂いた方の様々な思い 4

全部読みました。ここまで自分の体験を赤裸々に書ける方はそういないと思います。お疲れ様です。
なんでも完璧であるのは本当に難しいですよね。他人のこと、自分のことを出来る限り理解しようとする姿勢は大事ですが、足りないこともあります。イライラして相手の思いに共感できず、怒りを吐き出してしまうこともあります。ちょうど私の上の方のように。本当は怒る必要なんてないのに。
反省すべき点はあなたにも多々あるでしょうが、その弱い部分まで含めてこのブログを書いたのですから、立派だと思います。
思いやりを磨いていきましょう、一生成長です。

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私のブログをご覧頂きまして誠に有難うございます。おっしゃるお言葉、心に染み入りました。

私がこのブログで綴りたかったもう一つのお話が『正論は相手を傷付ける』ということです。

元妻に限らず、誰でもそうですが、『正論』は間違ってはいません。普通の人であれば『理解は出来ても納得は出来ない』と言ったところでしょうか。ただ元妻をはじめとする境界性人格障害(ボーダーライン)をお持ちの方は『正論』に威圧を感じます。理解も納得も出来ないのです。そして、精神疾患をお持ちでない方でも『正論』を吐かれると逃げ場を無くしてしまいます。

『人のものを取ってはいけません』
窃盗は犯罪であり、これは『正論』です。しかし『盗人にも三分《さんぶ》の理』という言葉があるとおり、何かしら理由がある訳です。『不貞をしてはいけません』『暴力をふるってはいけません』これらもそうです。

境界性人格障害(ボーダーライン)の人と生きるということは、本人はその全てを包括して欲しく、なおかつ出来ないと様々な病状を発症します。

私が一番悩んだのはそこでした。
幼い子供達を育てる中で、間違っていることを見て見ぬ振りは出来なかった。
しかし元妻の望む要求を全て答えたかった。
そして私は愛する存在の板挟みに合い、子供の心を取りました。当時の私にはどちらも得る方法がわかりませんでした。『何かを得る為には何かを手放さなくてはならない』と思っていました。
自分なりに、なるべく元妻の想いを汲んで生きていきたかった。
自分の一番そばにいる人を支えたかった。
その人と支え合って生きていきたかった。

当時を振り返っても、20代で夫と父親と母親を担う重責は並大抵の苦しさではありませんでした。そして、当然ながら私は『母親』にはなれませんでした。

私は家族の『母親』になりたかった。
何か悪いことを家族の誰かがしたとしても、正論で咎めるのではなく、「何かあったの?」と全てを包括してあげれば良かった。

私は当時、元妻が求める人間になるべくあらゆる宗教観を学びました。
現在私は無宗教ですが、そのあらゆる宗教に共通するのは『心』というものの捉え方でした。

『愛』というものを私は家族にたくさん持っていました。そしてそれをどう伝えれば相手に伝わるのかを日々考え、そして今も考えています。

『相手を思いやる』ということ。
その他に、それ自体もまた『エゴ』いわゆる『自己愛』であることに気が付きました。
相手を思いやったはずのその愛自体も、自分の心から発生した『エゴイズム』であるということ。
そしてその想いは相手の『心』の感受性に全て委ねられるということ。

20代の私はそこまでは理解していました。
更に足りなかったのは、『正論は相手の逃げ場を無くす』という知識。
そして境界性人格障害をお持ちの方には例え『殺人をも許容する心を持つこと』です。
善悪に大小はあります。
“例えば”の話ですが、それくらいの心の許容を持って相手を包括することです。

私が思うのは、それは個人の許容範囲を越えています。だから人は『離婚』という選択肢を薦めてきます。子供の成長だけを考えたらそれも良かったかも知れません。しかし私は元妻と共に生きる道を歩み、現在の結果になりました。

ただ、今の私が不幸ではありません。子供達と会えない辛さはもちろんありますが、きちんと前を見て幸せに生きています。

誰しもが完璧な人間にはなれませんし、逆に20代でドラマのような完璧な人がいたらすごいと思います。

中にある批判的なコメントも、全てが『私』という人間を彩るものです。
それを消さない理由はどんな思い想いも『人間』の心は幾万通りもあるということを示す為です。
例えばこのブログに残されている批判的なコメントも全て受け入れるということが、境界性人格障害(ボーダーライン)の人と生活を共にするということだと言えば分かりやすいでしょうか。

そしてそれが愛する人の言葉であったならいかがでしょうか。

私は相手から責められる度に自分の心を傷付けてきました。
だけど私は気が付きました。
自分の心を自分で癒していかないと、人生は輝きません。
そこから他人を照らす光が生まれてくるのだと思います。

果てしない様々な暴力を受けつつ自分の心を輝かせ、精神病のパートナーの不条理を全て受け入れること。

もちろんたくさんの人々の力を借りながらですが、最終的にはその方を支える方の心次第です。
今なお、たくさんの方が心の病に冒された方のそばに寄り添っていることと存じます。

どうか、そのあなたの心が壊れないよう心からお祈り申し上げます。

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