今の僕の気持ち2017 クレプトマニア(窃盗症)

今朝、読売新聞の社会面でクレプトマニア(窃盗症)の記事を読んだ。

参照:ヨミドクター
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20130808-OYTEW52011/

記事内容によるとクレプトマニア(窃盗症)は精神疾患の一つのようだ。
詩織のことを思い出す。

以前詩織が灰皿を万引き未遂を起こしたあの事件だ。

記事の内容には摂食障害を起こしたことのある女性が万引きを繰り返し、実刑判決に至るところまで来た経緯が書かれている。

今私は思う。
“極端に怒るのはやりすぎだ”と批判的なコメントが散見されるこのブログを読み直してみた時、では人が一所懸命働いて作ったものを『病気だから』という理由だけで『許して』いいのか?

幾度裁判になっても更正出来ずに繰り返してしまう人がいて、その家族はどうしたら良いのだろうか?

裁判になり、公的資金を用い、被害者加害者関係者の人生の時間を多大に奪い、たくさんの人に迷惑を掛けて、そしてその姿を子供が見たらどう思うだろうか?

たった二人だけの世界、例えば無人島などでたった二人だけで生きるならば、私だけが我慢すれば済むことだったし、実際にたくさん我慢をした。

しかし人間は社会を営んで生きてきた。

『病気だから』で他人に自分のものを奪われる社会で、それが許される社会が広まるとどうなるのだろうか?

あなたが自分の大切なものを『精神病だから』といって奪われて納得できるだろうか?

ものならまだいい。
大切な人に危害を加えられて『病気だから仕方がない』と納得できるだろうか?

大切な人が殺されたらどう思うか?

それでも『許す』のか?

なんの為の警察と裁判所なのだろうか?

みんな幸せに生きる為にどうしたら良かったのだろうか?

答えは尽きない。

ただ、世界中の子供たちが幸せに生きる為ならば、家族が悪いことをしたならそれを一番最初に家族が咎めなければならないと今でも思う。

それは私が日本人だからだ。

中国では論語を書いた孔子が「身内が何かをしたら嘘をついても守れ」と言う。それは“キ”という文化で、広い大陸で多民族が多い環境だったが故に、自らの血筋を絶やさない為の考え方だ。

けれどもここは日本で、現代において多民族を排除する環境じゃない。

自分の家族が精神病だから、他人を傷付けていい訳ではない。

『そのやり方が問題だった』と指摘する人がいる。

詩織に怒りをぶつけ、歩いて帰らせたことがいけないと言う。

確かに今なら他のやり方もあったと思う。

ただ、客観的に見た時に、当時の私は20代後半でまだまだ自身が人間としても成熟しておらず、そのような方法しか取ることが出来なかった。

そして、結果から見れば(私の目の前では)詩織は万引きを止めた。

例えば暴力を振るう不良が精神病だとした時に自分の身内がレイプ殺人をされたとしたら、「精神病だから仕方がないよね。けど悪いことだから止めようか」と諭して聞くだろうか?

そんな人が『精神病だから』と釈放されて『後は病院と家族で更正させてください』と言われて、隣に住んでいたら自分はどう思うだろうか?

極論だとは思う。“その間”はもちろん無限にある。ただ精神病の家族がそばにある場合、常に最悪のケースを想定するようになる。そういう環境であるということ。

何回言っても止めないから『病気』なんだと思うし、自分の経験からだが、優しくいい続けても聞かないと思う。
聞かないどころか舐めてかかってくる。

思春期の子供が教師に反抗するように。

『本当の私のことをわかってくれない!』
と自己を守るばかりで、わかってくれない相手を悪者にする。

正論を話す教師が悪いのか?
どこまで相手を許容するのか?

そうした時に当時の私は『人様に迷惑を掛ける行為』については断罪をした。

家族がやらなければならない。

今、このブログを綴る理由は、今この瞬間にも同じ思いで苦しむ人がいることを知っているからだ。

神様にはなれない。完璧な人間にはなれない自分が、四六時中完璧を求められる。

外からも内からも。

だからが故に、ほんの少しだけ、人を思い遣る心を知ることが出来たのかも知れない。

そんな環境でも、前を見て、霧散する闇の中を手探りで生きている人がいることを、私は知っている。

社会と家族から白い目で見られ生きていく。そう思うに至るまで自分が追い詰められていく。

いつまでその闇が続くのか不安になり気が狂いそうになる。

心の暗闇をまとったヘビが鎌首をもたげて覗きでる。

『おまえも壊れてしまえば楽になれるぞ』

その囁きをぐっと抑え込んで光を信じ続ける。

“一生”見ることの出来ないかも知れない光をただ必死に追い続ける。

私は知っている。
それは気が狂いそうになるほど苦しい行為だということ。

ゴールの無いマラソンを走り続けるようなものだ。

もうこのマラソンを辞めたい衝動に何度もかられる。

けど、重い足枷を繋ぎ続けながら外さないで走る。

自分がマゾなんじゃないか?と思い始める。

自分がロボットに徹するようになる。

自分が信じられなくなる。

自分が壊れてくる。

何を考え、何をしたらいいかわからなくなる。

その気持ちが分かる。

だからといって答えは見付からない。

ただほんの少しだけ、『自分一人じゃなかった』

そう思って欲しい。

一番は、今辛い思いをしているあなたは、その命を自ら断つのは、やめて欲しい。

そのままの人生じゃないはずだと、
絶対にいいことがあるはずだと、
信じて欲しい。

疲れて疲れて疲れきってしまったら、いつでも声を掛けて欲しい。

あなたは一人じゃない。

今はただそう思います。

たった一つだけ、あなたにアドバイスすることがあるとすれば、

「正論は正解ではない」

ということ。

たくさんの意見があなたの周りに集まると思う。

その意見は珠玉混合していると思う。

耳が痛い意見、自分が信じられなくなる話、たくさんの情報が集まる。

それは整理して心に閉まっておこう。

いつでも引き出しを開けることが出来るようにして。

大切なことは、あなたが心配で、声を掛けてくれる人がこの世の中にいるということ。

それを感謝して、生きよう。

未来は不確定だから、大切なこと以外は考えないようにして、今を生きよう。

今日一日を生きよう。

今日一日を大切に生きよう。

そうして後ろを振り返った時に、あなたの人生の道が出来ている。

ただ今を大切に生きよう。

今この瞬間瞬間を、なるべく大切に生きよう。

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