過去を解き放つ② 自分を許して愛することと他人を許して愛すること②心と思考を分けてみる

あの、バブあるじゃないですか。入浴剤の。

あれのナチュラルラベンダーっていうのがあって、もう加工されている時点でナチュラルじゃないじゃん!って思いながら入れたんですね。
いや、分かる。きっと香りの成分がナチュラルなんだと納得しながら。

んで、炭酸ガスってあるじゃないですか。それが効くってテレビで言っていたのを思い出して、腰に当ててみたんですよ。直で。
そしたらなんかザリザリするんですよね。そして持ってた手の匂いを嗅ぐと超ラベンダー畑なんですよ。

これは…と思って尻に挟んだら超肛門ブクブクするんですよね。はい、かなり肛門が鍛えられました。

通勤中、お尻からラベンダーの香りがするオッサンを見付けたら、それは僕かも知れません。

話が反れました。
どうも僕です。
というか、“自分を許す=バブ”みたいになってすみませんでした。

今日も生きています。

でもまぁ“締まりのない顔”とか言うじゃないですか。あれって肛門鍛えてないんだと思うんですよね。キリッ!としている時はお尻もキュッ!ってなってるはずですよ。だからキリッ!とする為にお尻にバブを挟んだ訳ですよ。鍛えてるんです。ほらそこ!「他に鍛える場所あるだろ…」とか言わない。念力で聴こえています。

はい嘘です。

さて、バブの話は置いておきましょう。自分と他人を許して愛することが幸せになれるんじゃないかなー?の話の続きです。

前回は自分を客観視する方法として日記を書いてみたらいいよの話をしました。

よく“人の振り見て”的な話あるじゃないですか。自分の振り見てなら多分、何倍も効きますよ。…バブより…←バブ好き。

バブと言えばバブバブ言う赤ちゃんも好きです。あのおしりふりふりが可愛いですよね!

ん…?
ひょっとして尻フェチなのか…?
いや、大人の尻にはさほど興味はない。自分のもだ!←でもお風呂上がりにお尻叩いたら出るピタン!っていう音は好き。

大丈夫大丈夫。まだ焦る時間じゃない。←大丈夫じゃない。

尻の話じゃない。

①自分を許す
②自分を愛する
③人を許す
④人を愛する
この四つがセットになっていることがなんだか大切なような気がします。

①自分を許す為にまずは自分を知ることから始める。それは日記でもいいけれども、その時々の自分の気持ちをあるがままに認めるってことなのかも知れない。

インナーチャイルドの話。

例えばタカシおじいちゃん74歳にもインナーチャイルドはいる。

僕の妄想の中のタカシおじいちゃんは、小学校の校長先生を退職してから囲碁教室に通っています。

最近、元土方のカンジさん74歳に負け越し中です。今日もあと少しで負けそうです。

カンジ「…タカシさん…腕ェ…上げましたな…」
タカシ「ぐぬぬ…まだまだぁ!」←はいここ!ここのタカシおじいちゃんのインナーチャイルドの様子を見てみましょう!

タカシチャイルド(ちくしょう!負けられねェ!あの余裕顔がムカつくぜェ…いや、そんなことを思ってはいけない…努力してこなかった自分が悪いんだ…!校長という椅子にあぐらをかいて周りと比べて努力してこなかった自分はダメだ…ダメダメな人間だ…)←はい!出ました!自分を許せないタカシ!

自分を許せない人って正義感が強いのかも知れないですよね。
また、自分を許せない人って他人も許せないと思います。

なぜそう思うかと言うと、自分の思考を相手に押し付けちゃう人が多いからです。はい、かつての僕のことです。気を付けてはいますが知らないうちに今も出ているかも知れません。興奮した時とか。ごめんなさい。

まぁ、その思考が“間違った優しさ”に繋がりやすいと思うんです。

例えば、カンジさんに「今から私の行きつけの喫茶店に行きましょう。お茶でもごちそうしますよ」とちょっと上から目線になっちゃったりする。話の前後の流れもあるけど、空気のわからない人ほどいきなりそう言っちゃう。

“自己都合の優しさ”が“優しさ”だと勘違いしちゃってる感じ。決め付けちゃったり。
自分がそうされたら嬉しいから相手にもそうする。みたいな。
気が合うんならいいですけどね。いきなり言われたら特に女の人はびっくりしちゃうと思う。

いや、別に喉乾いてないし。てか、これから晩御飯作るし。

隣で打っているヒサエさん(68)は言われたらそう思うかも知れない。

ようはダメだー!とか、こうだー!とかは多分表裏一体なのかなぁと。

んで、ダメだー!が多くなると自分を許せなくなる。ちょっとタカシさんの例とは違うけど、“私ってダメだなぁ…”も一緒だと思う。

【サトミさん32歳の場合】
カンジさん74歳を師と仰ぎ、囲碁教室に通うキャリアウーマン。

あぁ、今日も部長に怒られちゃったなぁ…私ってダメだなぁ…←はいここ!小さなサトミちゃんを責めているんですね!

まぁ自己憐憫に浸ることも心は個人の自由なのでいいんだと思うんですけど、過去を解き放つのであれば、ただ起きた事柄だけをインナーチャイルドに落とし込んであげるといいのだと僕は思います。

今日は部長に怒られちゃったね。悲しかったね。

それだけでいいんだと思います。

そこに“ダメだ”とか“でも”とか“だって”とか色を付けない。

ただ、起きた出来事と、心が思ったことだけを受け入れてあげる。

さっきのタカシおじいちゃんの例も、“負けそうだな”という出来事と“悲しいな”という心だけを受け入れてあげればいいんだと思います。

人はそこに思考を乗せやすい。それはより良く生きる為に神様がくれたギフトなんだと思う。

“でも”“だって”“しかし”が在ったから人類は発展してきたんだとも思う。

“でも”
物質が飽和した現代だからこそ、シンプルに“出来事”と“心”を肯定する。

“思考”を乗せるのはその次でいいと思う。

それは“思考”の特性によるから。

“思考”とは産まれてから後付けで作られた後天的なものだと思う。

“思考”の元になるのは、
①両親などの身近な人からの思想の影響
②国や土地や風土や文化などによる影響
③教育などによる知識による影響
の3つがあるらしい。

特に③は100年前と比べてインターネットの普及により、100倍以上の知識が得られるみたい。

100年前の人の100倍以上の知識。

しかもそれには“経験”が伴わない知識。

“成長”には“気付き”と“経験”が必要とのこと。

“気付き”は知識でも得られる。だけど“経験”は“本人の行動”でしか得られない。

たくさんの“知識”から得られた“経験”を伴わない“思考”が、心と身体を苦しめているのではないか?

そう僕は仮説を立て、それをこの人生で立証している最中なんだ。

“思考”の特性。
それは“行動を産む”というものだと僕は思う。

“心”と“思考”と“肉体”は繋がっていて、
・心→恐い!
・思考→排除だ!
・肉体→殴る!
みたいな。

そこに“理性”が入ると、
・心→恐い!
・思考(本能)→排除だ!→(理性)いや殴ったらダメだ!
・心→恐いんだ!
・思考(理性)→我慢しろ!
・心→ぐぬぬ…!我慢する…
・肉体→ストレス→おかしくなる。
というメカニズムなんだと思う。

だから、“思考”は後にする。だって生まれた後に出来たんなら、生まれる前にあった心と身体を認めた方が自然じゃない?
そんで、後から“思考”を付与していく。みたいな。

なんかね、そうやった方が僕は楽だったよ。良かったらやってみて!

『心と思考を分けてみる』

じゃあお風呂入るからまたね!←オフロスキー

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