過去を解き放つ⑤自分を許して愛することと他人を許して愛すること⑤自分を愛することを諦めない

野口嘉則(のぐちよしのり)さんって知ってます?あの、“鏡の法則”っていう本を書いた人。その人が、確か二冊目か三冊目かに出した本がありまして『心眼力』だったと思うんですけど、家族が居なくなった僕は、その本をベッドの上で読んでいたんですね。

なんで読んでいたのかなぁ?
やっぱり“幸せの答え”を探していたのかも知れませんね。とにかく、自分の心と向き合って色々考えていたんですよね。“思考”により、幸せを探そうとしていたんだと思います。

それは、心と思考が解離していって、爆発しそうな心を必死に抑え込もうとした僕の本能だったのかも知れません。なんか焦燥感みたいなものに常にかられていました。

んで、二年くらい夜中の2時半から朝の4時半までしか睡眠が取れない日々が続きました。

“不眠”ってヤツですね。

これは色々脳みそが沸騰するくらい心(感情)の処理をするのにフル回転していたからだと今になって思います。

その時に僕は“不眠”を否定して無理に寝なければならないという思考を無くしていて、ここぞとばかりたくさんの思考を繰り広げていました。

世の中から“消えたい”、“いつ死んでもいい”と憂いていた僕は、眠れないことくらいあまり対した問題じゃなかったんですね。

この頃だったでしょうか、僕の右の奥歯が砕け散ったのは。

文字通り、歯を食い縛って生きていたので奥歯が耐えきれなくなったんですね。歯医者さんに行ったら「奥歯って普通一番強いので砕けないんですけどね」と言われました。

今思えば、心と思考が肉体を傷付けていたんだと思います。

そうそう、本の話ですね。

んで、確かその本の中に、「人間は幸せになる為に生まれてきた」みたいなことが書いてあったんですよ。

その一文を見た僕は反射的にその本を壁に投げつけていました。

バンッ!と音がして、クシャッと床に落ちた本を、僕はただ怒りを感じながら見詰めました。

バカかと。
自分は壊れながらも家族を、幸せを、必死に作ろうとして今こんな状態だぞと。
幸せになる為に努力してきた結果がこれだぞと。

そう思ったんですね。

確か、夕暮れ時だったと思うんですけど、夜8時くらいまでそのまま思考が怒りでグルグルしていたんですね。

なんでこうなった、とか。
どうしたらよかったんだ、とか。
なんで産まれてきたんだ、とか。

確か、そんなことをとりとめもなく考えながら、気持ちが落ち着くのを、時間が解決してくれるのを、ただ待って、考えて、過ごしました。

その内、思考の中にある考えが産まれてきたんですね。

「じゃあ分かった。これからどれくらい幸せになれるか生きてやるよ」と。

自暴自棄から怒りが生まれ、それが生きる力に繋がった瞬間でした。

でも、その根底には“怒り”があったんですね。だから、“怒り”をどう処理するかをひたすら調べて考えました。“アンガーマネジメント”ってヤツですね。

いや、いつもイライラしていた訳じゃないですよ。多分。“憂い”とか“悲しみ”とか、その時々の“喜び”とかもあった訳ですから。生きていますからね。

ただ、心の根底にある、マグマみたいなドロドロした赤黒い“怒り”が、とっぱんとっぱん波を打つんですね。

そこは精神疾患の家族と一緒に暮らしていたスキルがありますから、相手が不安定な時って態度に出せないじゃないですか。だから表面上はのほほんと繕ってました。ただ、本音を言えばそんな状態だったんですよ。みんなもありますよね、そんな時。一緒ッスよ。

そんな沸々とした気持ちをなんとかしないと幸せになれないよなー。とか考えていたんですね。

そしたら親友のお姉ちゃんから、「私、怒るの辞めたんだ」っていう話を聞いたんですよ。

そのお姉ちゃん曰く、20代前半の時までは、けっこうイライラしてたんですって。

だけどある時、“相手の怒りは相手が過去に理不尽なことを受けたから、怒りが現れる”って聞いて、それが“因果だ”って学んだとのこと。

んで、また“怒り”が新たな“負の因果”を産むから、自分のところで因果を断ち切る為に怒るのを辞めたんだって。そしたらすごく魂が成長するんだってー。って教えてくれたんですよね。

正直「ふーん」でした。“魂”とか分かんないし。だけど、“怒り”をコントロールすることに興味があったので聞いたんです。

「分かった。んじゃさ、どやって怒るの辞めるの?」って。

そしたら「ん?簡単だよ。“怒るのやーめた!”って決めただけ」って言うの。

「それだけ?」
「うん、それだけ。」
「ほーん。じゃあやってみるね」

んで、「じゃあ“怒るのやーめた”!」って言った。

そしたらね、ホントに怒るの段々減ってった(笑)。自分の場合はね!

これは“因果の話”がセットだったから良かったんだと思う。

(僕にとって)理不尽な話は、相手が過去に理不尽なことを受けたからだっていうのがすんなり心に入ったからなんだよね。

僕にとって理不尽な行為を繰り返した元妻は、実の母親から理不尽な仕打ちを幼い頃から受けてきたのを知っていて、その行為は僕にとってキツかったからね。

自分がそうなっちゃいけないなぁって素直に思えたんだよね。

人を見下しちゃってる感は最初はあったけどね。理不尽なことを言う人に“この人も理不尽な目に合ったんだなぁ”って。

例えるならさ、横柄な運転をする車とかたまにいるじゃん。そんな時に「おぅおぅ!」って思う時あるでしょ?それを(ひょっとしたら奥さん難産で子供産まれそうなのかもな…)って思ったりするの。そしたら優しくなれる。

本当はわかんないけどね!

そやってたら、あんまり怒りの感情が出なくなった。怒るの辞めたしね。

それと同時に“自分が幸せになる為”に「半径5m以内の人を幸せにしよう!」って決めたんだよね。

これはイエス・キリストさんが「自分の両手を広げた位の範囲の人を愛しなさい」みたいな言葉があって(“汝の隣人を愛せよ”みたいの)両手は範囲が小さいから、普通の声が届く範囲にしよーって決めてやってみたんだよね。

なるべく人の為に、出来る範囲で人の役に立つ。

それは、“周りが幸せなったら、自分も幸せになれるに違いない”!っていうこれまたエゴ全開の思考から産まれたんですよね。

まぁこれは半分間違っていて、半分は良かったなぁと思います。

間違っていたのは、そんなんじゃ自分が幸せになれなかったんですよね!やってみてから、だいたい5年位で気付きました。

周りには笑顔が増えたとは思うんですけど、自分は幸せなはずなのに、自己憐憫や悲しむ心が消えないんですよ。

あれー?なんでかなぁ?と思い続けていたんですよね。

家族が居なくなって、5年も経つのになぁって。

淋しくて、悲しくて、苦しくて。

ときたまそんな感情が悪夢みたいに襲ってくるんだよね。

ぐわー!って。

そしたら何時間も身体が動かなくなるんですよ。マジで。生きるのを拒否するみたいに。

涙と鼻水と涎を垂れ流しながら、最長8時間はソファに座ったりしていました。

そんな時はやっぱり“消えたい”って。“なんの為に生きているのかわからない”って。そう思ってた。段々なんでそうなるのかも分からなくなってきてね。涙と鼻水と涎まみれのまま、金縛りみたいになっていて、思考は冷静になっていく。休みの日とかはそれで潰れたりした。

ある日さ、会社の先輩にそれをぶつけたらさ、「なんの為に生きているのか?じゃなくて、人は生かされているんだと思う」って教えてもらったんだよね。あと、「悲しみは一生消えないと思う」って。「悲しみは乗り越えるもの」だって。そして「まだ5年しか経っていないからね」って、そう思うのは仕方ないって言ってくれたんだ。

なんかね、その時にすごい心が軽くなったんだ。“救われた”って感じ。今も頭上がらないですよ。人生の先生です。

それと同時期くらいにね、10才も年下の子に教えてもらったことがあった。

「“幸せ”って、考えるんじゃなくて、感じることだと思う」

あぁ、そうか。
と思った。

僕はさ、ずっと考え続けていたんだよね。

“どうやったら家族が幸せになれるか?”って。

花を見てさ、「これはこの角度とこの色がいいね」じゃなくてさ、「可愛いな」とか、ただ“幸せ”に感じることが大切だったんだなって学んだんだ。

それから僕は“自分が幸せに感じる”ものを集め始めたんだ。そしたら幸せに感じる心が育まれたのかな?元々あったのかなも知れないけど、幸せに感じることが出来るようになっていって、幸せになれた気がする。

ようは“自分を愛する”って、やり方が分からなくなっていたんだと思う。

でも、僕はそうやって徐々に幸せに感じることが出来るようになったんだ。

時間は掛かった。
おおむね6年。
それを理解するまで4年。
計10年だね。長いね。いいオッサンになった。

けどまぁ、今の自分はそこそこ気に入ってます。そりゃヤダナーって思うこともありますけどね!

周りにはさ、たくさんの人がいるからさ。

だけどね。そういう風に生きていったら、周りが変わっていくんだよ。

実際には周りは変わっていないのかも知れない。だけど、僕の周りの世界は変わり始めたんだ。

“愛”が感じるようになった。そして“愛”が観えるようになった。

そしたら周りのみんながもっと“愛”をくれるように感じた。

ようは“愛”を感受する力が付いたんだと思う。

“世界が変わる”

そんな経験を僕はしたんだ。

だから、最初に戻ると、野口嘉則さんの言ってたことは本当なんだと思う。

“人間は幸せになる為に生まれてきた”

それには僕は“幸せを感受する心”が必要なんだと思う。

僕は15年掛かった。
いや、物心ついてから38年掛かったのかも知れない。

だけど、気付けば遅くないんだと思うんだ。

悲しみや苦しみが深ければ深いほど、その見返りはすごく大きいんだと思う。

だから、諦めないで欲しい。

自分を愛することを諦めないで欲しい。

僕は今、そう思うんだ。

愛は自分の心にあるんじゃないかなー?って、そう思います。

『自分を愛することを諦めない』

そんな感じ。
良かったらやってみて!
またね!

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