過去を解き放つ⑥自分を許して愛することと他人を許して愛すること⑥自分の心を許して距離を置いて相手をよく観ること

こんにちわ。
愛愛愛愛ばかり書いていると「おさるさんかよッ!」って自分ツッコミをしている今日この頃です。

どうも、僕です。

いやぁ、“自分を愛する”とかって改めて書くとなんだか恥ずかしいですね。別に普段から言わないですもんね。どんだけナルシストになれってんだ!って話ですよね!

でもまぁ、自分を甘やかすという話ではないということは分かってくれるといいな~と思います。

次に“他人を許す”ですけど、これはきっとすんごく難しいんだろうなぁと思います。

僕は元々、正義感が強かったんですね。いい意味でも悪い意味でも。

それも今思えば、偏った正義感だったんですよ。カッコ悪いですよね。

例えば『上司』なら“普通”こうあるべきだ。とか『親』って“普通”こうだろ。とかですね。

この“普通”っていうのがイコール“自分にとっての普通”で、それが僕にとっての正義だったんですね。

元妻に“普通”の母親を求めたり、子供たちの為に“普通”の家庭を求めたり。

人間って、自分以外の人を主軸に置くと“正義”だと思っちゃうもんだと思うんですよ。

僕の場合なら“子供”ですね。

でも、そこに“相手”への理解と配慮が足りないから歪になってしまう。

僕の場合、精神疾患を持つ元妻の思考と行動は“僕の中の”常識を逸脱するもので、それは“社会でも認められないもの”だったので余計苦しみました。

いや、普通に万引きとか良くないと思いますけどね!

“子供たち”の為に“良くない”と“自分にとっての正義”を振るった訳ですね。

正直これは、ぶっちゃけ最初から離れたら良かったのか、自分の行動が良かったのか分かりません。

ただ、間に公的機関を挟んで第三者に公平に見てもらえれば良かったなぁと思います。

病院は患者しか見ていないように僕は感じました。もちろん家族への配慮もしてくれますが、基本的に患者単位なんですね。

だから僕はそんな精神疾患家族会を作りたいなぁと考えています。

このブログもその一貫です。

そうやって、嵐の中で右往左往している人がいたら、そっと手を差し伸べることが出来るような人になりたいです。

話し合いながら、お互いに適切な距離が取れるようにする。とかね!

話が反れましたね。それで“他人を許す”というのは、 まず“自分の思考”を疑わなくてはならないんですね。

相手の主張と自分の主張が食い違い、衝突した時、お互いに主張をぶつけ合うから争いが産まれる。

ただ、僕が感じた精神疾患の方の主張って反社会行為も多かったんですよね。

僕が経験したのは、万引き、暴力、暴言、破壊行為、不貞行為など。

それをなるべく受け止めてきたんですけど、全て受け入れることは出来なかったんですよ。

それを全て受け入れれば良かったのかも知れないですけど、僕が思うに全て受け入れる為には現実的に①資産約1億6千万円(働かないで長い間家族の生活を“標準以上(相手が求めるだけ)”に保障する金額)②自分の全ての時間(相手が必要な時に)が必要だと感じました。さらに忍耐力とかの人格も必要ですよね。“受け入れる”だけの器が必要ですからね。不倫とか、子供の目の前で万引きとかしても「仕方ないよね」って言えるだけの器。

まぁ元高卒フリーターには難しい話ですよ。25才でしたしね。経験不足でした。今でも「いやーそれはちょっと止めようか?」って言っちゃうかなぁ。そしてその原因も全て“あなたが悪い”ですからね。そりゃまぁ「それは違うかなぁ?」(*^^;)って言っちゃうと思います。ぐぬぬ…!ってなっちゃう人の方が多いんじゃないかなぁ?

でもまぁそういうことも“許す”というスキルが必要なんですね。

いや、まぁいきなりは難しいと思います。だから適切な距離が必要なんじゃないかなぁ?と思うんですね。

“離婚”も一つの方法だと思うんですが、そうしなくとも離れて暮らすとか、精神的に距離を取ったりですね。

ただ、精神的に距離を取ったりしたら「無視された」と、これも法律で精神的DVで訴えられるんですよね。まぁどうしろと言う訳ですが、日本は民主主義ですからね。声が届く、大きい人が優位なのかも知れません。ただ、“声無き声”を挙げることも誰かの助けになるかも知れないなぁと思い、このブログを綴る訳です。エゴ全開ですけどね!まぁそういうこともあるので公平な公的機関が欲しいですよ。2億円位集まったら僕が作りますね!(目標に向かってハナクソくらいの貯金はしています)

“許す”っていうと、「上から目線かゴルァッ!」って思う人もいるかも知れないですけど、そうじゃなくて、まずは“自分の思考”を許すことから始めるんですね。

あ!でもこれは僕のやり方なので、合わない人もいると思います。大切なのは“こういう方法もあるんだな”っていう感覚で“これが正しい”訳ではないので勘違いしないでくださいね。あと、もう一つ大切なのは“柔軟さ”だと思います。だから「こんなやり方もあるよ~」というのがあったら教えてください。僕はまだまだです。ただ、僕みたいな凡人でも出来るやり方だと嬉しいです。“滝に打たれろ!”とか“天使に祈りましょう”とかは難しいかなぁ?宗教関係は御勘弁願います。すみません。m(_ _)m

続けますね。
ようは、相手の主張と自分の主張がぶつかる時“自分が引く”ということですね。それがどんなに自分にとって理不尽なことでも。そうしたら自分の心は辛いですよね。それに対して、そんな気持ちにさせた自分の行動を“許す”ということです。

まず、“引く”という行動に対してですが、“主張”というのは“押す”という行為なんですよね。“押す”と“押す”ではぶつかる。ぶつかるとエネルギーが生じます。これが“争い”を生む。これに対して争いを回避する為には“相手が押してきた分だけ引く”と、“隙間”が産まれ、それが“余裕”に繋がるんだと僕は経験しました。

例えばここにまんじゅうがいくつかあるとします。二人の人がそれを奪い合えば無くなります。奪い合う手がかち合えば痛みが生じます。しかし、譲り合えば余るんですね。

目の前の利益に目を向けるんじゃなくて、相手の顔や気持ちをどう察していくか?

その時に、奪いたい!という自分の心に葛藤が生じます。それを“許す”ということです。それが“相手を許す”に繋がっているんだと思います。

それは、“相手をよく観る”という行為に繋がるからです。

よく観るということは目や表情や仕草、言動から心を察することだと僕は思います。

それが“思い遣り”に繋がり、“相手を許す”に繋がるんだと思います。

ようは『相手の心を自分の心に投影する』ということで、これを“鏡映自己”と言います。

しかし、相手がまんじゅうのみならず、腕を引っ掻き、自分の服を切り裂いて奪おうとしてくるならば、それ相応の距離を取らなくてはなりません。それが“逃げる”という行為です。

“逃げる”は“負ける”ではないと思います。それは一旦引いて、相手をよく観る為の距離を取る行為です。

思えば元妻も子供との生活を奪われると思ったのかも知れません。そう思わせた僕が悪かったのだと思います。言い訳になりますが、僕もいっぱいいっぱいでした。ダサダサですね!反省してます。口だけに聞こえる方もいるかも知れませんが、僕なりにこの10年色々なことを考えました。

それはさておき、引いた心を許して、余りが生まれるとそれが余裕に繋がることを僕は経験しました。

しかし、僕の経験では、精神疾患の方は引けば引くほど奪おうと追い掛けてきます。そこが難しいですよね。離婚するしないは“手段”だと思います。夫婦ならばそれも有りですが、親子ならばそのハードルは更に上がります。“毒親”ってやつですね。未成年だと更にキツいですよね。児童相談所に自分から言える子供なんてまずいないですしね。

精神疾患に対して偏見は良くないと僕は思います。しかしまた、現実を見ないことも良くないと思うんですね。現実として、奪われている子供たちの命があります。

精神疾患があるからと言って、責任能力回避とはならないと僕は思うんですね。それは“罪を償わせる”という行為ではなくて、そうならないようにする社会が必要なんじゃないかなぁって。至らない僕は思う訳です。

至らないからこそ、人は助け合うのだと思います。

だから、みなさんと一緒に色々考えることが出来たらいいなと、そう思います。

『自分の心を許して距離を置いて相手をよく観ること』

良かったらやってみてね!
じゃあ今日はスーパーでニンジンが安かったから買ってくるわ!またね!

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