過去を解き放つ⑧自分を許して愛することと他人を許して愛すること⑧相手の心を“受け入れる”か“受け止める”か“受け流す”かを選び、“受け入れる”までの時間を持つようにすること

夢を見たんですよ。
兄と一緒に海辺の町に行ったら、やけに栄えているんですよね。そしたらやたら熱帯魚が大群でやって来ていたんですよね。ポニョっぽくですね。

んで、魚がやたらうねっているものだから、兄と一緒に逃げたんですよ。なんとなく。そしたら口の中に水が入っていて、エポッて出したら銀色で玉のような、光る3匹の小魚と、赤オレンジっぽい魚が一匹出てきたんですよね。

「あー弱ってなくて良かったー」と思いました。その後は覚えていません。

夢って不思議ですよね!僕は一度だけドラゴンボールの悟空みたいに空をビュンビュン飛ぶ夢を見たことがありまして、また見たいな~と思っていますが一度も叶っていません。でかい龍が普通に空を飛んでいて(刺激さえしなければ食われることはない)と謎の落ち着きを取り戻していた夢を見たこともあります。

“夢”

身体が疲れている時には怖い夢を見るらしいですね。はい、僕は今日も元気です。

“他人を愛する”話ですよね。

ぶっちゃけ、“愛する”の定義の話だと思います。誰でも彼でも「愛してますッ!」って言っていたら、ただのヤバイ人ですよね。僕なら引きます。というか、シロクマ似のオッサンから「僕は他人を愛してます」ってマジ顔で言ったらダメだと思う。身柄拘束案件です。

この“他人を愛する”とは、“他人を許す”と同じ感じで、“他人の存在をあるがままに認めること”だと僕は今思うんですね。

“愛”を定義化するとしたら“心の真ん中に受け入れること”だと僕は思います。愛という字は“受”の真ん中に“心”ですからね。

んで、どうしてもキライな人っているじゃないですか。キライというか合わない人とか。それってこの世界がそういう風に創られているから変えられないと思うんですよね。

世界は何万年も続いているのに、全く同じ人って一回も生まれてないんですよね。多分。分かんないですけど。少なくとも僕は僕を見たことがない。

みんな、“たった一人の自分”なんですよね。

目の前に見える全ての人に人生がある。

そうした時、人の心と思考もその数だけあるんですよ。

仮に、毎日違う人と合うとして、100年の人生ならば、一生で36,500人の人と関わり合う計算になる。

元妻に精神疾患が判明した時に、主治医が「患者一人が救われれば200人が救われる」と言ったんですね。だいたい少なくとも生きている上で200人くらいの人とその瞬間に関わっているということです。引きこもりの人だって、親やその親戚、親の職場の人とか、ですね。

たくさんの人がいるから、自分を好きになってくれる人も、そうでない人もいる。

また、自分が好きな人って、そこそこ生きていたら一人二人はいたと思うんです。それがアイドルとかでもいいんですけど、その自分の好きな人が“キライ”って言われたら寂しいですよね。ただ単に。

食べ物でもいいですよ。ケーキの好きな人に「私ケーキキライ」って言われたら、こんなに美味しいのに!?って思っちゃう人もいると思うんです。

“他人を愛する”ってようは“自分を否定する相手の心も受け入れる”ってことだと思うんです。

他人の心と思考を“自分が”受け入れる。

だけど、どうしても受け入れられない人っていますよね。分かります。その人から自分が嫌われていたり、自分が大切にしているものを認めない、とかね。それも、“その人が自分を嫌っている、認めない”という事象をただ心に受け入れるといいんじゃないかなって思うんです。

でも、人って「あの人がこうだから私だってこうだもん!」って自分のインナーチャイルドの感情から生まれた思考に陥りがちだと思うんですよね。

そんな時はまず、自分のインナーチャイルドを許してみる。

「そうか、そう思っちゃうよね」って認めてあげる。

次に、“思考”を緩やかに落とし込んでいくといいと思う。

『相手が自分をキライなのは、相手の世界に自分の存在があるんだ』って。それは『この世界に自分の存在を相手は認めてくれているから』なんだって。

実際、好きと嫌いは表裏一体なんだと思うんですよね。最初は“なんだこの人”って思った人と結婚した。とかよく聞く話ですよね。

“愛”の反対語は“憎しみ”と言われることも多いけど、僕は“無関心”だと思うんです。

自分の世界からその存在を消してしまうこと。だから、離れていく。

離職の多くもそうだと思う。会社の考えや働いている人の考えから、離れていく。

だから、“キライ”なら、“好き”に変わる可能性は“無関心”より高いんですよね。

だけど、そう思えない人も中にはいますよね。

“怨憎会苦(おんぞうえく)”って言うんですって。自分にとってイヤな人と会わなくちゃいけない苦しみ。

なんか、お釈迦様って人生の苦しみを“四苦八苦”に分けたらしいんですよね。有名なのが“生老病死”。んで、“愛別離苦(あいべつりく)”って好きな人と別れる苦しみ、“求不得苦(ぐふとっく)”が欲しいものが手に入らない苦しみ、“五陰盛苦(ごおんじょうく)”が自分の心と身体が思い通りにならない苦しみ。

いやーお釈迦様。人生苦しみばっかじゃん!って思いますよね。どんだけマイナス思考なんだよと。

だから苦しみから離れる為に“四諦八正道(したいはっしょうどう)”を編み出したらしいんだよね。

苦しみの原因を知って、無くして行こうぜ!その為には八つの正しい道を歩めばいいんだよ!って教えてくれたんですね。

いや、いいんですけど、出発点が“人生は苦しみだらけ”っていうのがどうもね!僕の受け取り方に問題があるのかも知れないけど、そう思っちゃう。

時代もあるのかも知れない。昔は今よりもっと人の命は簡単に失われていただろうから。

日本だって300年位前までは7才までは神様の子だから、魂帰りしても仕方ないって言われていた位だからね。それ位産まれて大きくなることが今より難しかった。

でも、今の時代はみんな子供産まれたら喜ぶじゃん?多分ほとんどが望まれて産まれてくるじゃん?生まれてくること自体が不幸だななんて周りは思わないじゃん?赤ちゃん自体もがんばって産まれてくるけれども、出てきたら手をグーにしてガッツポーズしてるじゃん!

だから、苦しみじゃなくて喜びなんだと思うんですよね。

お釈迦様の考え(この世は苦しみ)に対して、僕は『ホ・オポノポノ』の方が好きです。

『ホ・オポノポノ』とは、カメハメハ大王が提唱したハワイの秘法と言われていて、幸せに生きる為の智恵なんですよね。

“ありがとう”
“ごめんなさい”
“許してください”
“愛しています”

この四つの言葉を普段から用いること。

“ウニヒピリ”と言って、心の中の小さな自分、いわゆるインナーチャイルドを癒して周りにもそうしようね。って国の一番偉い人が決めたんだよね。これが一番の宝物だよって。家族で何かあったらこれで解決しようねって。

これは今でも僕は大切にしています。それはやってみて良かったから。

“有難う”の語源は“有ることが難しいのに存在させてくれたことに感謝します”ってことで、その人の存在を全肯定することなんだよね。

否定ではなく、肯定する。

“御免なさい”は“ぜひお許しくださいませ”という、自分が起こした言動を許してねということ。

“許してください”でここが“ごめんなさい”と重なっているんだけど、僕の解釈では“自分が存在することを許してください”ということだと思っています。

んで“愛しています”。 “あなたの思考と心を私の心の真ん中に受け入れます”ということだと僕は思います。

“ありがとう”は言いやすいんですよね。日本人には馴染んでいますからね。

“ごめんなさい”も馴れたら言いやすいです。僕は後輩でも子供にでも言います。人によっては“ごめんなさい”は言いづらい言葉かも知れないですよね。謝ればいいってものでもない時もありますしね。TPOで使い分けたりした方がいいかも知れませんが、まずは心の中でも“ごめんなさい”を言うことから始めたりしました。

“許してください”は日本人には馴染みがあまりないですよね。ごめんなさいとセットで使ったりしています。何か傷付けたら“ごめんなさい”それに対して、あなたの心と思考に寄り添うように努力しますので私の存在を“許してください”という感じでしょうか。

“愛しています”は普段特別な人にしか使わないですよね。可愛らしい子供が「愛してるよ!」って振り撒いていたら微笑ましいですが、最初に挙げたようにいい年したオッサンが「愛しています」って振り撒いていたらヤバイですよ。これも心の中で“あなたの心と思考を受け入れますよ”と意識することだと思います。それが自分の言動に滲み出てくるんじゃないかなー?って思います。

いやいや、おまえはそう言うけど、そんなに簡単に出来ないよ!って言う人もいると思います。

なんでもかんでも“心の真ん中に受け入れること”なんてムリ!ってね。僕はそれが普通だと思います。

ですから、相手の言動に対して、三つの対処をしていくことから始めるといいんじゃないかな?と思います。

相手の言動を
『受け入れる』のか?
『受け止める』のか?
『受け流す』のか?

まずは自分の心と相談する。その為には、「ちょっと待ってね」を使う。

相手の言動に対して、例えばいろんなことを感情的にワーッ!って言ってくる人の言動を全部受け入れることは僕も難しいです。だから、その時は『受け止める』だけに集中する。もし答え(同意)を求められたら、「ちょっと待ってね」って保留にする。当然言葉にして受け入れることの出来ないものだってあるからね。犯罪とかね。

んで、まずは6秒もらう。「ごめんね」って断ってからね。だいたい6秒経つと怒りは収まるんだって。

んで、6秒経っても答えが出ないものは、一日もらう。「ちょっと考えてから返答するね」って。この時、一日って相手には伝えない。期限を決めると期待するからね。ただ、自分の中で決めて、きちんと進捗を相手には報告する。一日後に「ごめんね、もうちょっと時間もらっていい?」って。んで、その時に疑問に思っていることがあったら質問したりして。

そうやって、“受け止める”から徐々に“受け入れる”に変えていく作業を続けていく。

時として時間が掛かる。だけど、時間を掛けると心と思考も熟成されていくんだよね。“時薬(ときぐすり)”と言って、時間が解決する薬もある。

人間のエネルギーには凄まじいものもあるから、相手の心と思考を自分の器に合わせて一つ一つ落とし込んでいく必要がある時がある。

特に精神不安の方は、凄まじい程のエネルギーをぶつけ、その全てを受け入れさせようとあらゆる手を用い、さらに即決を迫る。安易に即決すると「あの時は受け入れてくれたじゃない!」となる。

まるで母乳をねだる赤子の心(感情)で。そこに大人の思考を乗せてくる。

だから、“心(感情)”と“思考”を分けて受け入れるといいと思うんだよね。

“心(感情)”は「そうか、今こんな気持ちなんだね。分かったよ」って。その行き場のない感情が、思考を通じて“自傷行為”という行動に現れたとする。そしたら、その“行動(思考)”に関しては何も言わない。こちらの心で接しない。しかしそれを見た子供たちはショックを受けるだろうと思う。だから距離を取る。なるべくそばに居させるという行動ではなくて、調子の良い時だけそばに置く。

ただ、一番割りに合わないのは子供なんだよね。

母親を求めてもそばに居ることの出来ない淋しさを与えてしまう。僕はそれが辛くて、そんな母親の姿を目の当たりにしてもそばに居させてしまった。

これはまだ僕の中で解決を見ない課題なんだ。

どうすれば良かったんだろうって。

子供たちの心と、元妻の心と、僕の心を。

そんな人達が、世の中にたくさんいるんだと思う。

僕が偉そうに刻む言葉たちは未だ完璧な対処法でもないし、根本的な解決法ではない。

ただ、昨日よりもより良く生きる為の、ほんの少しだけの、知恵なんだ。

だから、それは理解してほしい。

至らない僕が、人生を懸けて考え続け、体感し続け、良かったと思うものだけをここに載せています。

そこに“完璧な答え”が無いのは僕も感じている。ただ、これはいいんじゃないかな?っていうのを集めて今僕は生きている。

学も無く、至らない僕が伝えるのもおこがましいけれども、そんな僕の言葉でも、誰か、たった一人の役に立つことが分かったから。

誰か頭のいい人が、僕の心と思考を継いでくれて、世の中の役に立つことがあるかも知れないという奇跡も信じて。

今僕はこれを綴っています。

まとめると、“他人を許す”為には“相手の心を受け入れる”こと。ただその前に『相手の心を“受け入れる”か“受け止める”か“受け流す”かを選び、“受け入れる”までの時間を持つようにすること』って感じかな!←長い。

良かったらやってみてね!またね!

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