過去を解き放つ⑨自分を許して愛することと他人を許して愛すること⑨“スピリチュアルペイン”を知る。

全人的苦痛(トータルペイン)って知っていますか?

人がみんな感じるであろう苦痛をまとめたものです。これには身体的苦痛(直接的な痛み)、精神的苦痛(感情による痛み)、社会的苦痛(組織からの痛み(孤立)など)、霊的苦痛(スピリチュアルペイン)(死への恐怖や生きるの意味への苦しみ)があって、この痛みや苦しみを“全人的苦痛(トータルペイン)”というそうです。

これらはWHO(世界保健機構)でも“健康の定義”によって定められています。

以下引用

健康の定義について
WHO憲章では、その前文の中で「健康」について、次のように定義しています。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが
満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)

この定義によって、WHOでは、医療に限定されず幅広い分野で、人々の健全で安心安全な生活を確保するための取り組みが行われているのです。 この憲章の健康定義について、1998年に新しい提案がなされたことがあるという
ことはご存知でしょうか。

Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

静的に固定した状態ではないということを示すdynamic は、健康と疾病は別個のものではなく連続したものである
という意味付けから、また、spiritualは、人間の尊厳の確保や生活の質を考えるために必要で本質的なものだという観点から、字句を付加することが提案されたのだと言われています。

この提案は、WHO執行理事会で総会提案とすることが賛成22反対0棄権8で採択され、そのことが大きく報道されました。そのため、健康定義は改正されたと誤解している人も多いのですが、その後のWHO総会では、現行の健康定義は適切に機能しており審議の緊急性が他案件に比べて低いなどの理由で、審議入りしないまま採択も見送りとなり、そのままとなっています。

日本語では、mental も spiritual も同じく精神的と訳してしまいそうになるのは、宗教に希薄な国民性のためかも知れません。ともあれ、どう翻訳すべきかを考えてみることも、私たちが「健康とは何か」を考えるヒントのひとつになるかも知れません。
 
引用おわり
出典 日本WHO協会
https://www.japan-who.or.jp/commodity/kenko.html

精神疾患をお持ちの方は、心の根源にこの“スピリチュアルペイン”を強く持っているんじゃないかなー?って僕は思うんですよ。そして、この痛みはみんなが抱えているものなんじゃないかなぁって。

それが大人になるにつれて、思考(理性)でコントロールするようになる。理性=倫理的思考→倫理的行動は“社会”を営む上で必要なことなんだけど、『社会<自分』という風になっちゃうのかな?って思う。だから周り(社会)を巻き込んで嵐のように傷付け飲み込んでいく。

これに対して元妻は“社会的行動を身に付けていく”というカリキュラムを組んで、精神的に9歳からやり直し、少しずつ社会生活を学んでいった。これは認知行動療法の一環で正しいことだと思います。

ただ、“思考の台風”は勢いを弱めたり強めたりはするけれども、近くに入ればいるほど巻き込まれてズタズタになるんですよね。そしてまたその子供に台風の種を植え付けていく。そうやって負の連鎖は続いていくんじゃないかな?って考えています。

だからその根源にある“スピリチュアルペイン”を癒していくことが大切なんだと思う。そしてそれは“本人にしか”出来ないんだよね。こちら側は気付いてもらうのを待つことしか出来ない。

それに対して、支える側の僕たちは“知ること”が大切なんだと思う。

“不安”の裏側には“恐怖”があって、その根底には“無知”があるんだって。

だからまず知ることから始めたらいいと思う。知れば恐怖は軽減するのを僕は経験しました。みんなに合うかはわからないけどね!

“スピリチュアルペイン”とは“死への恐怖”だったり“何の為に生きているのか?”という自己否定を含んだ魂の痛みなのかも知れない。

これには“因果”が強く関わっていると思う。

“原因と結果”は強く結び付いているよ。という考え方。

元妻の根本的な原因は実の母からの虐待だった(もちろん僕の関わり方にも要因はある)けれども、子供は親を選べないんだよね。それが心が形成されていく幼少期に理不尽な感情として蓄積されていく。

大人になって、思考は成長して理解が出来るようになるのだと思う。だけど心は理不尽を抱えたままで、それがチグハグになっちゃうのかも知れない。

僕は、自分でやってみて、心と思考を分けてみたら、楽になった。

心はあるがままを受け入れて、思考は後で乗せる。

まぁそれを相手に強要も出来ないからね。押し付けになっちゃう。

だけど、声を掛ける時に言葉に乗せることは出来ると思うんだよね。

そうか、相手のスピリチュアルペインはこんなことで、だからこんな心になるんだなって。それを言うと「あなたに私の何がわかる!」ってまた言われちゃうから、話を聞くだけにする。

理解しようとしても拒否されちゃうと悲しくなるよね。場合によっては怒りが出てくるかも知れない。

その、自分の中に産まれてきた感情を理性で抑えるんじゃなくて、あるがままを認める。

そうか、今、悲しいよね。って、自分を客観視して心を認める。それが自分の心を癒すことに繋がり、自分を愛することだと僕は経験しました。

ただ粛々と、ただ粛々と。

永遠とも思える苦痛、自らのスピリチュアルペインを癒し続けていく。

それは因果の種を次の世代に持ち越さない為に。

ただ粛々と、ただ粛々と。

自分自身を癒し続けていく。愛し続けていく。

そしたら周りに笑顔は増えるんだよね。そしたら元妻は「外面ばかり良くして!」とまた否定の種を植え付けてくる。「外ではニコニコして、私を傷付けてばかりで!」と言われちゃう。周りはそれを聞いたら、(家の中ではこの人は鬼なんだな)って思うかも知れないってまた僕の心は傷付いた。そして疑心暗鬼に囚われる。

それをまた、自分の感情を粛々と癒す。

ただ粛々と、ただ粛々と。

周りの冷たい視線が突き刺さるように感じだしてくる。

「外面だけ良くて、家では最低の男」というレッテルが貼られる。

それが苦しくなってくる。それは心の毒となり、徐々に心を蝕んでくる。それで前の僕は、当時の僕には抱えきれない位のスピリチュアルペインを負ったんだ。弱いと言われればそれまでだけどね!外面がいいという毒は、その後そうでもないって思えるようになったし。

でもその時は、壊れそうになりながらただ粛々と、ただ粛々と、日記に想いを毒と吐き連ねて、自分で自分を解毒して生きてきた。

あの日記は、僕の排毒の日記だった。

あれで僕は心のデトックスをし続けてきた。

いつか、この想いが報われるだろうと、先の見えない未来を夢想しながら。

永遠とも思える時間。

僕も経験しました。

今だから言えることだと思います。今、その最中にいる方は、もがき、苦しみを重ねながら生きているのだとお察しします。

それはスピリチュアルペインを重ねている行為だから、それを知り、自らの心を癒し続けてほしい。

それは僕の願いです。そしてそれは死が輪郭を帯びてくる程の、僕にとっては壮絶な痛みをもたらしたことを経験しました。

だから、僕はあなたを肯定します。

もし、同じ痛みを抱えているならば、世界中があなたを否定しても、僕は必ずあなたを受け入れる。

だから、この世界で一緒に生きていこう。次の世代にその傷を持ち越さないように。

それが難しいなら距離を置こう。

あなたもこの世界のたった一人のあなたなんだから。あなた自身も大切にしよう。

『“スピリチュアルペイン”を知ること』

良かったら参考にしてみてね!
じゃあまた!

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